人は何者にでもなれる。
今も何者かになっている。
常に何者かになっている。

何者にもなっていないと人は言う。
あなたが何者かになっていると言う人は、何か一つをやり遂げている人ではないですか?

何かをやり続けている人を何者かになっていると言っていませんか?

そうであれば、あなたは今までの人生の時間を何にも使っていなかったと言うこと。
何かをやろうとしてもそれらに時間を費やしてこなかったと言うこと。

何者かになっている人は、人生の時間をそれらの事に費やし工夫し努力した人というだけ。

あなたはその時間何をしていた?
そして、この先の人生何に費やしますか?

今からでもあなたのいう何者かになることもできます。
やり続けていることが、何者かを決めているだけ
人生の時間を費やしている物があなたをしっかりと情報通にしています。

テレビですか?
雑誌ですか?
ゲームですか?
漫画ですか?
食べ物ですか?
旅行ですか?
子育てですか?
仕事ですか?

あなたは何かしら人よりも情報を持っています。
自分の人生の時間と引き換えに知識として脳の中に刻まれています。
それらを創意工夫して行なっているのか、それとも何も考えずに常に同じ方法でやり続けているのか?

それがうまくできる人と、うまく出来ない人の違い。
うまくできる人は、それを仕事に変えていく。
このネット時代、いくらでも仕事に変えてしまえる。

得意なことにするのも不得意のままでいるのも自分次第。

人生あなたがしなければ何も変わらない
自分の人生を変えられるのは自分しかいない。
自分の人生の時間の使い方を変えるだけだから。
考え、試行錯誤し、効率的に行うように日々の努力だから。
そうしないと、何事も上手くはならない。

何も考えずに、無意識で歩いているから、人はみな歳をとるとどんどんウエストが太くなっていく。
自分の意識と同じ人生を生きるしかない。
それが人生であり、定め

定めているのは自分だから。
上手くなるにはいくつもの壁を乗り越えなければいけない。

その壁は次のステージ

次のステージに必要なものを習得して慣れるまでの間が壁となる。
問題が起きれば、何かを修正する。
修正できるチャンス。
修正できなければ、また同じような事は起こってくる。

同じ事の繰り返しは失敗実験を繰り返しているのと同じ。
自分の何を変えていかなければいけないのか?
何を修正すれば上手くいくのか?
常にそれらの繰り返し。

そして知らないうちに周りからは何者かになっている。
常にやり続けているから。
自分でも知らないうちに人生の中でしているから。
本気で取り組んでいるから。
自分では当たり前のようにこなしてしまう。
それらが人生を費やしている。

そうやって、自分をきたえ、律していく力
現代は人生にしっかりとコミットできないようにしている。

いろんな誘惑があり、情報操作があり、
簡単!便利!
などの謳い文句で、継続・やり遂げるという力が失われている。
生きる醍醐味を忘れてしまっている。

この体を使って生きる事。
作り出す事。
生み出す事。
成し遂げ、やり遂げる事。

自分が動くから、できるようになるから、本当の満足度が生まれ、感動が生まれる。

やり遂げた者しか見られない景色。
情の世界ではなく、動の世界。
結果ではなく、プロセス
内容ではなく、集中・コミットの力

全ては自分をしっかりと生きる事で、他者に振り回されない事。
自分を律してしっかりと生きれば自然と何者かになっている。
そうせずにはいられないから。
情報がなくても、やっている。
見える範囲のもので必ず行なっている。

どんな時代に生まれようとも、どの国に生まれようとも・・・
その世界の中で必ず天職のことを行なっている。

現代では、意識的に楽・楽しい・価値観というもののフィルターで見えづらくなっている。
しているのに気づかなかったりする。
それらが特別なことと感じにくいから。
価値観というフィルターが見せないようにしている。

本当に望んでいる自分とは?
向かおうとしている自分とは?
頭と行動の不一致はどこから起きている?

同じものだと思わないこと。
思考と本当の自分は違うから。

自分にも嘘をついているのが思考
自分を騙しているのが思考。

思考は人間社会の歴史の積み重ねで、あなた自身の積み重ねではないから。