頑固という事についてスピリチュアル的に考えてみました。

という私も「頑固」です。
エネルギーがブレないから目的地へ向かっている時は尚更です。

なのでスピリチュアル的には「頑固」と言うのは褒め言葉ですね。
道を開いた人は「頑固な人」
エネルギーがブレないから道を成し遂げれたわけですからね。

私も、このCoreを独学で見つけられたのは、頑固だったからだと思います。
今でも進化し続けているのもエネルギーがブレないからです。

ですが一般的にはこの「頑固」いい意味では使われませんよね。
それは生き方によって2パターンに分かれているからです。

頑固の捉え方から分かるもの

この「頑固」人によって捉え方が違います。
そして自分に対しての捉え方と、相手の行動に対しての捉え方が違う人もいます。

この違いを知ることで、自分を知る切っ掛けにもなるので最後まで読んでみてくださいね。

「頑固」をどのように使っているか?

  • 自分の意見を周りに押し通す頑固
  • 自分が自分を貫く頑固

どちらかというと現代の意味合いは前者の方になっていて悪い意味で使われてる。
反対に後者は真逆の意味で使われいい意味で使われています。

二つをスピリチュアル的に解説

スピリチュアル的に解説ということで、まずはエネルギー界の掟を知ってください。

エネルギーの世界では掟というか禁止事項が2つあります。

  • 他人のエネルギーを許可なく変えてはいけない
  • 他人の自由意志を奪わない

と言うのがあります。

禁止事項と言っていますが、私が伝えている「自分に戻る方法のCore~Rei」では
禁止事項ではなく、意識が逆になっていることを表しているだけになります。
このことはCore&Reiシリーズで書いていきますので詳しく知りたい方は順にお読みくださいね。

今回の話で当てはまるのは他人の自由意志を奪わないの項目です。

なのでスピリチュアルから見ると今回の頑固というのは自分が自分を貫くのが頑固ということになります。

自分自身に対しての「頑固」と言うのは、周りに強要はしません。
自分の目的に向けてブレずに進んでいるだけで、人の自由意志を奪うことはないのです。

スピリチュアルから見る頑固の反対は?

私自身が頑固なので、頑固の反対を見ると少しイライラします。
では反対の人の特徴で、私をイライラさせるものは・・・

意見をコロコロと変える人、その場にとって都合よく変わる人なんですよね。。。
「自分がないのか?」と思ったりしてしまいます。
要はブレブレなんです。

一貫性がなく、貫くこともない。
納得して・腑に落ちて変わるとかではなく、機嫌によって変わる・立場で変わる・脳内ホルモンで変わる・・・ですね。

頑固というのは自分軸が有るか無いかということになっていくんです。

頑固の反対は・・
自分軸がないということで、自分軸がないということは判断材料がないということなんですね。

ではこの人たちの判断基準はどこにあるのか・・・?

現代の意味での「頑固」は何に当たる?

では、現代の「頑固」
自分の意見を周りに押し通す頑固 を少し解説してみます。

スピリチュアル的、要は自分の内側を生きている人にとってはこのエネルギーの禁止事項というのは全く関係のない生き方をすることになるので、禁止ではなく自分以外の「外側を生きてる」という捉え方になるのですが、スピ系では禁止事項でいつまで経っても外側に居続けます。

この世界でも「周りの人を思い通りに動かし自分は動かない」人って嫌われますし関わりたくないですよね。

でも、脳と身体のズレが大きい人はなりたくないではなく、なりたいになってます。
「自分を生きる」から段階を経て「経済社会をいかに楽にして生きるか」に変化しそこに重心を置きすぎると起こる現象です。

多分多くの人が思っています。

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もちろん私も思っていたのでよくわかりますw
ご都合主義ですね。

現代の頑固ってご都合主義ということになるんです。

ご都合主義に何故なったのか

なぜご都合主義になったか?が見えてくるとご都合主義の判断基準が判明しますよ。

このご都合主義は前でも少し触れた脳と身体のズレになります。

見聞きするものによって脳は身体を動かそうとしますが、身体は自分軸(Coreエネルギー)によって体を動かそうとします。
生まれた時には脳と身体にはズレはないので衝突はないのですが、知恵の種類・情報によって脳と身体にズレが生じます。

脳が求める人生と身体が求める人生が一緒だったものが、徐々にバランスを崩し脳主体になった結果です。
現代に言われる「頑固」とは「脳主体」に生きている人のことを指す

脳と身体のズレで起こること

脳と身体がズレると主体になる方で求めるものが変わってきます。

身体が主体となると天秤がイメージできます。天秤のバランスを保つように動きます。
しかし、脳が主体になると綱引きになります。脳が勝つまで終わりません。

脳と身体のズレというのは脳主体になると現れます。

身体が主体の話はCore&Reiで詳しく解説しているのでそちらをお読みください。(未完成で執筆中です)

脳主体になると、脳が喜ぶことを求めるようになります。
要は脳だけが喜ぶことで「身」がない・伴わなずにすみます。

脳の快不快・・・ズバリいうと「脳内ホルモン」です。
脳内ホルモンが喜ぶか喜ばないか。

脳内ホルモンは

  • アドレナリン
  • ノルアドレナリン
  • ドーパミン
  • エンドルフィン
  • オキシトシン

があります。
本来なら身体が使うものですが、脳内で使ってしまおうという感じですね。

脳内で使うというのは、情報によって先に得てしまっているのが現在です。

脳内ホルモンを求める危険性

脳内ホルモンを情報によって得るのに代表的なものは

  • 褒められる
  • 尊敬される

ということに優越感を感じているかいないかです。
優越感・・・嬉しい・更に欲しい
というのは脳内ホルモンが出ている証拠ですよね。

自分を生きているとこれらは「外にある基準」以外にありません。
脳内ホルモンは出ることはありません。

ここで脳内ホルモンが出て更に求めるようになると人生の目的が変わってしまいます。
脳内ホルモンを出すために生きるようになるんです。

なので基準の全ては「脳内ホルモン」
それが快楽なのか不快なのかで全てを判断するようになります。

このような人は本当は出来るのに不快ホルモンが最初に来ることで「出来ない・苦手」になり機会損失を多くしています。

自分に合っているか合わないかの判断もまだ出来ない状態の時に脳内ホルモンで判断をしてしまいます。
見聞きの状態でどんなホルモンが出るのか?出ないのか?で判断するんですね。

これが感情の正体でもあります。
脳がどう感じているか?の判断を感情と呼んでいませんか?

感情ではなく、脳情ですね。
現実を感じているのではなく脳情報を感じているに過ぎません。

更にもっと言えば、この脳情がエゴです。
現実では無いところの判断で生きているんですからね。

では、エゴを知るのに逆から見ていきます。

「褒める」ことからエゴを解説

例として「褒める」を挙げてみます。

まず、褒めるという行為には何が含まれているのでしょうか?

  • 自分の正解で褒める
  • 自分にとって都合がいいと褒める
  • 自分より下に褒める(上は尊敬です。)
  • 褒める相手にとって以前より成長すると褒める

などがありますよね。
事柄によってもまだありそうですがここでは人によって変わるということが言いたいのです。

私が褒められることに違和感があるのは「バカにされてる」感が拭えなかったのですよね。
だって、「褒められる」って、自分より下で劣っているという感覚から褒められるんですよ。
自分よりすごく力があると尊敬で、同じ土俵なら称賛。
褒めませんよね?

同じに扱っていないから褒めないというより、同等として扱ってもらっているから褒めない。
だから、子供の頃、褒められても嬉しくない。

  • 相手には相当の余裕があるから
  • 対等に見てもらえていないから
  • 同じ土俵にも立たせてもらえないから(当たり前なんですが、それが悔しいんですw)

さて、「褒める」という行為について解説しましたが、どうでしょう?
これを喜べるというのは「人間」というものを理解しているのか?
ということになるんです。

現実を見ていると称賛と褒めるの違いはわかります。
褒めている人はどこを見ているのかですね。
そのような言葉を本当に信用できますか?

人として同じ土俵にいると「称賛」です。
上から目線では「褒める」です。
下から目線では「尊敬」です。

なんにしろ、現代では「褒めてあげてください」ですからね。。。。
「あげてください」って言っている時点で上から目線です。
裏解釈は「称賛する、同じ人間としての世界で生きられないなら上から目線になって褒めろ」ってことですからね。

「褒める」という行為が既にエゴなんです。
それを喜べるというのも「エゴ」です。
どちらも「現実」にはないもので脳内で作成されたものだからです。

最近では褒めることも褒められることも喜びなようで。。。。
それによって脳内ホルモンを出しているようですね。

人間として自分を生きると自然とできることです。
そして脳内ホルモンはこんなことで出しません。
そんなところで使うのではなく、しっかりと肉体を正常にすることに使うことになります。
肉体に回す分を脳内で消費するのはエゴの量産ですよ。

さて、ここまでで現代の頑固からご都合主義・感情・エゴまで深堀していきました。
いかがでしたか?
少しは現実に戻るお手伝いができたでしょうか?

自分の意見を周りに押し通す頑固 と言うのは脳主体の言動で脳内の快楽ホルモンを求めことで感情を見たすこと。それはエゴそのものだということです。

その中に本当に大切な「自分を生きる」が入っているのでしょうか?

おまけ

夫は私のことを「頑固」「こだわりが強い」とは言いますが、直そうとはしませんでした。
それによって気分を害する事もありませんでした。
夫も人を変えようとする人ではなく、「私」そのものを受け入れているからです。(最近は歳なのかエゴが強く出て受け入れるのが難しいみたいですw)
もちろん、私は夫を変えようとはしませんよ。(夫は勝手に自分で自分の首を真綿で絞めてるだけなので)

そして、私の「頑固」ということに一番の恩恵を受けているのも「家族」です。
一つの事にのめり込むと一流と言われるような所まで突き進もうとする意欲なので(なってはいません、あくまでも意欲ですw)
私のこだわりを一緒に楽しめるのが家族だからです。

エネルギーでも、アロマ・健康でもパソコンでも恩恵を受けたのは家族だったのかもしれませんね。
聞けば分かるといった、情報源になってるみたいです。
外に出かけるより家のごはんの方が美味しいというのもこだわりがあるからですよね。
なので、何かにハマると、「次はどんないいことがあるのか?」ってなるんですよね。

自分の行うことのこだわり。
それは人が何していようが関係ありません。
自分の行うことのこだわりだけですから。
一つの約束さえ守ればいいのがエネルギーの世界。

相手の自由意志を奪ってはいけない。

これだけです。
それが「頑固」と言われるのは、相手が私を変えたい時なんでしょうね。
私の自由意志を奪おうとしている。
相手は議論・話し合いに持ち込むのではなく、感情で奪ってくるのでそれを「頑固」と言われるのかもしれません。
それらは見ている人の都合でコロコロと変わるものですよね。

まあ、「頑固」ととらえる人もいれば、「意志力の強い人」ととらえる人もいるし「自分がある人」と見る人もいます。

見ている人そのものがどんな人なのかを表しているのだと思います。
結局、これも周りの評価でしかない。

という所に行き着きますよね。

「頑固」だけでは実は判断できない。
真にあるもので変わります。

エネルギーを知らない人は「頑固」に対して判断を行おうとしますが、現実を生きている人は真にあるもので判断します。

「頑固」は言葉ですが、同じ言葉でも背景で意味は色々と変わります。

一般的に言われている悪い意味での「頑固」はワガママでエゴです。
話し合いもできず、感情に変換したり話を逸らされたり・・・
それを意図してやっているのならまだ救いようはあるのですが、無意識で行っていると既に妄想世界の住人です。
頑固でもなんでもなく別世界へ行った人です。
固まったものではなくフラフラと浮遊霊のように彷徨っているだけですからね。

子供は純粋な分天秤のバランスがいいので見抜きやすいです。脳内ホルモンの快楽にはまらないように気をつけてあげてください。

子供のまま大人になった妄想世界にいる住人は救いようがありません。放っておいて自分を守ることを第一に考えましょう。

今回は以上になります。

Core & Reiに興味のある方はまずこの記事から読んでくださいね。