自分の人生に起こること全てが自己責任
そうすると、本当は全てが見えてきます。
ですが、自己責任にするということは、とても痛みが伴うのです。

なぜなら・・・

自分が正しい、間違っていない
と思い込みたいからです。
いえ、間違った行動を取ろうとして取っているのではなく、正しい行動を取りたいと思って生きているから。
ですが、この「自己責任」という部分を少しだけ違った角度から見てほしいのです。

例えば
あなたが何かを習得し、1番になりたいと思っているとします。
そんな時は、一生懸命にやることをただひたすらに行っています。
思考に出てくるものは習得するためにすべきことしか出てきません。

小さな子供が、野球で一番になりたいと思った時、練習に励みます。
周りを見ずに一生懸命に練習をするだけで、周りを構わないものです。
そのチームがどうであろうと、監督・コーチがどうであろうと、自分のやるべきことをしっかりとやります。

なぜなら・・・野球で一番になりたいから。プロで通用するようにまでなるには、周りなど関係ないからです。
うまくなればなるほど、周りがお膳立てしてくれます。道を示してくれるのです。

ですが、やりたくない事になると?・・・

人にやって欲しいし、自分が怠けたい・・・
野球をやっていても、誰かが下手だの、コーチが悪いだの、チームが悪いだの・・・
自分が何をするべきなのか?を忘れてしまっているんですね。

こういう時の思考に出てくるのは、自分がしなくていい方法を探し出します。
出来ない理由や、誰かのせいにしたりしているのです。
チームがうまくなれば、自分は何もしなくても強いチームにいるという事で錯覚・満足してしまうのですね。

この2つの違いが分かりますか?

人のせいにしている、動かしたいと思う、・・思考の中に他人が出てきていると自分を変えない方に視点をおいています。
逆に、思考の中に周りが出てこないのは、目標に向かって、自分を変える方向に向かっています。
自己責任として生きているのか?いないのか?ということだけなんです。

自己責任として生きていると、自分を変える努力をして生きています。
他者責任として生きていると、他人を動かして生きています。

私も長年教える仕事をしていますが、この辺りが顕著に出てきます。
自分を変える努力をする人と、自分を変えない努力をする人

自分の結果を変えたければ今までの世界観・視点を変えなくてはならず、変える努力をしないと行けません。しかし自分の視点を変えられないと何かと周り・人のせいにしてしまいます。

もちろん、この教育というものは指導力の問題もありますが、お花畑やメルヘンを深層心理で求めている。何か正式な形を自分の中だけで作り上げている人が、指導力とか言い出すように見えます。

今までの経験上、「思考の自分の正しさをずっと信じている」
というのが一番の理由です。

自分の思考の正しさを信じているので、感情・感覚・思考・などの内容に従うのです。
これはいつまでたっても、今のままの人生を歩むしかありません。
誰かのせいにしたり、自分の不得意にしたり・・・自分を変えない努力をするのです。

自分を変えないための言い訳を始めると言ったほうがいいのかもしれません。
最近はそのような人が多くなったように感じます。

この問題の第一は「国語が出来ない」という部分にあります。
国語と感情を混同してしまっています。

2極化が激しく出てきて引っ張られる人が多いように感じます。
この時に本当に考えてほしいのは、「今のままでいいのか?」という事です。

今のままでいいのなら、それで構いません。
夢を、希望を諦めればすむことです。
諦めれば、逆に今に幸せを感じます。

またこれも真実です。

諦めた途端に、楽になりますよ。
手に入るものは単なる道具でしかありませんからね。
手に入っても、入らなくても、あなた自身が変わることはありません。

この人生で遊べるパーツが少なくなるだけです。
多ければいいというものでもありませんしね。
そして、知らない世界は見たことがないので、人生にはないものになり何も気にせずに生きられます。

根底の、人間の質と言うものが出てきているのだと思います。
土壌の質で、雑草は何が生えるのか決まります。
そこに色んな種があるのに、土壌で生えるか生えないかが決まるんです。
人間も同じなのかもしれませんね。

土壌を変えないと・・・
この土壌の定義も
周りの環境と捉えていると、周りの人を変えたり、環境を変えたりと全て周りのせいにして、自分を変えない努力をするんです。

いい例が、パワーストーンだの、パワースポットだの・・・
悪いことがあると全部人のせい・・・運気のせい・・
何かのせいにしたがるんですね。

この土壌も自分で自分のエネルギーです。
そこで、どんな種が咲くのか?
土壌も種も自分の中にあります。

一流と呼ばれるほどになっている人は、すべて自己責任としてこの世界を生きています。
質・品
それは自分です。

この世界には、人間が持って生まれたものと、人間社会が作り出して持っているものとを混同しています。
人間の機能を本来の使い方として使っていないのです。
人間社会が作り出した生き方をしているのです。

それが、国語ができなくなった理由と、感情の履き違えです。
そのために起きたことが、自己責任ではなく他者責任
本当の世界を見ようとせず、人間社会が作り出したものを解明しようと聞きたがります。

本当の世界は全てあなたの中です。
全てが物語っています。
あなたの思考・言動・立ち居振る舞い・・全てを合わせたもの

これが今のあなたそのものです。

何もない世界に、あなたが作り上げた世界です。