最近この両方が「うーん」となっています。
「言ってもらえるうちが花」
これ、よく父に言われたな〜あー祖母にも小さい頃に言われた。
まだ見込みがあるって思われている証拠だよって。
見込みがないと思われてしまうと相手が「言わぬが花」になっているって事だものね。
悪者になってまで相手に協力しようなんて普通思わないよね。悪者になってもいいからって思いがあって初めて言えるんだもの。
そして、悪者にならないって事が分かるともっと言ってもらえるようになる。
逆に伝わらなくて悪者になっていくと「言わぬが花」になってしまう。その時その関係は終わってるんだよね。
自分で気付けるのならそれでもいいかもしれない。けど気づけなかったらどうするんだろう?
多分、言われたくない人は自分を変えたくないからそれでいいんだよね。
今のままでいたいから、「言ってもらえるうちが花」という事に気づかないんだよ。
そして、「言われぬが花」の場所で安心して生きている。
だけど、すでにそこには関係性が終わっている事に気づいていないんだ。
そこには「生きる」という「勢」がないから。
現代はこのことに気づける人が少なくなってる。
歳をとると気づけたのはほんの20年前までぐらいなのかな?
今では気づけずに終わっていくんだろうな。。。
勢いを求めるものはまた違う所へ移動し
静を求めるものはその場で立ち尽くす
縦ラインが静なら横ラインが動なのだ
言わぬが花って人生、、、面白くないよね
なんの上達もなく、日々の面白い事もない
これってエゴで満たすしかない人生って事だものね。
まあ、勘違いの事実ではない感情論はいらないけどね。
事実をみられない・見てない評価もいらないけどw
人生の優先順位から真逆だからどうしようも出来ないのかな?
これじゃあ、二極性になるはずだよね。
これだけ極端になると一緒にいられる訳がない。
リアルに生きている人、ほんと頑張って!!!
言われているうちは花ですよ。期待大!!
本当の意味で自分磨きを行なっている人素敵ですよね。
自分磨きの勘違いって多いから。。。これも二極に分かれてるよね。
この話も次に書こうかな〜〜♪