私達が感じているもの、見ているものは皆それぞれの内側の世界が作り出しているもの。
私達が個々の内側の世界に入れてしまったものはたくさんある。
宇宙であったものがいつの間にか言葉を理解するようになり、この人間社会のもので徐々に埋め尽くされてそれらを自分だと思い込んでいる。
いつでも私たちは内側の世界で作り出しているものを感じることしかできない。
それがなんであろうとも・・・
私たちは、見聞き・体験・人生などを通して自分が信じたものと食べたものでしか出来ていない。
それ以外は感じることができない。
自分を見ていくと本当に人生は自分そのものだとわかる。
全ては内側の世界にあるものを変えれば思い通りの人生が歩める。
思うがまま。
ただし、一攫千金のようなものじゃない。自分そのものであるということはあなた自身の生活も変わることを意味している。
だからこそ天職にたどり着けてしまう。
踏ん張って、力を入れていた今までの世界は力を抜いて生きられるようになる。
何事も ”気をぬかない” と言われ教えられ、気をぬくとだらけてしまう生活は自分とつながることにより、’気をぬく” ことできちんとした生活を送れるようになる。
本当に真逆になってしまう。
ただし、自分と繋がった視点からのエネルギー操作は「気を抜かない」になる。今普通に使っている「気」と自分と繋がった時の「気」が違うものになるから。同じ言葉なのに示しているものが違っているって事。
繋がっていない外側しか見られないとこの「気」はどうやっても伝えられない。他の「気」を見つけられない。意識が内側にいかないと示している「気」を見つけられないから。
どれだけここで説明しようとも内側を見ないと探せない。自分を知らなければ見つからないもの。
本当にこの世界は面白い。表裏一体。外を感じているのか内を感じているのかで真逆に変化する・・・・
内側の世界は私に私がいる場所を教えてくれる。
私が今どの世界にいるのか?
体がどの辺りにいるのか?
それを見ながら、エネルギーを変え、食を変えていく。
私が目で見ているものは、私が見ているのではない。
体が見せてくれているもの。
私が思うことは私が思っているのではない。
私が無自覚で信じてしまったものを出しているだけ。
本当の私ではない。
私と思っている間は、自分とは繋がれない。
私ではないものをいつまで信じている?
本当の私を見たくはないのか?