喜びとか楽しさって2種類あります。
自分と繋がっている時に感じる喜び・楽しさと自分と離れている時に感じる喜びと楽しさです。

要は魂という自分が感じる喜び・楽しみなのか、感情が感じる喜び・楽しさの2種類という事です。

自分と繋がった生き方での喜び・楽しさって「無」とか「無心」になった時を指します。
感情はワクワクとかドキドキとか嬉しいーーーと思っている瞬間ですよね。

「無心」は相手と自分との一体感を表しています。
それが喜びとか楽しさなんです。

一方感情の方は一体感ではなく、神経を大きく揺さぶり自分ではない状態である意味はしゃいでいる状態です。
浮き足立ちふわふわした状態ですね。

自分の中心・本来の自分の喜びなのか、本来の自分ではないものの喜びなのか・・・

自分の中心・土台であるものの喜びは直結して現実に現れます。
自分の土台と同じものが現実化しているのでこの「無心」という状態は創造を形にしやすいんです。

この現実化・引き寄せって知っていても知らなくっても自分の土台と同じものが出ているので平等なんです。
喜び・楽しさを勘違いしていると、いつまでも望む人生が手に入らないので大変です。
意図しない方向へずっと向かっているんですからね。

スクールに通いある程度するとほとんどの人が無意識に現実化の数が多くなるんです。
型の習得で神経のズレが治る事や自分に意識を向ける事・道理を知る事で思考回路が変わるので当たり前のように起こる現象なんですが、コントロール出来ずに無意識で行うので忙しくなったりします。
望んでいたものによって違いますが、小さいものなら食べたいと思っていたものが届いたり、行きたい所へ行けたり・・
仕事が舞い込みすぎて忙しくなったり、やりたかった仕事が入ってきたり。
なんていうのは普通に起きてるんですよね。

それをきっかけに現実化できる場所を自分で知ることができてたりします。
拍子抜けするぐらいに現代の「願う」とは真逆なので願望とか願いとかを持たなくなります。
現代のやり方だと願い・願望は叶わないって自分を通して確実に実感して分かるからなんですね。

だから本当に、「自分に聞く・自分に教えてもらう」ということが一番なんです。
私は自分に聞く・教えてもらうにはどうしたらいいのか?
ということを伝えているにすぎません。
答えは自分の中にあるので、体・神経の扱い方を通して体が常にどのように自分に訴えているのか?を教えているだけなんですよ。
性質を教えているって感じなのかな。

どんな状況下でも自分をブラさずにいられるって人生を崩さないってことでもあるんですよね。
冷静な判断を行えるし、現実化されるものも自分の人生は周りに影響されなくて済むんですよね。

人生も体もどう解釈するかで道が分かれるんですよね。
解釈するにも道理を知らないと出来ないしね。

パン作りをしながら無心と道理を教えられた1日でした。