相手に分かってもらえない。通じないと言うのはとても苦痛でストレスが溜まりますよね。
分かっって欲しい人に分かってもらえないって、自分を誤解されたように思うんですよね。
誤解されたままにしておきたくない。
ある意味「言い訳」とも似ているかな。
結局「分かって欲しい」ってエゴなんですよね。
自然・道理という事が見えてくるとエゴだって分かる。
だってね、理解できるわけがないんだもん。
そう、「分かってもらえる」という妄想を抱いているだけ。
現代って人間社会が基準として回っているから思考がエゴに偏って伝わらない言語の使い方になってて思いは伝わらない。
人それぞれでいいように誤訳して勝手に納得してる世界。
人のことを話しているようで、理解しているようで全部本人の妄想世界観を話している。
この妄想世界観は自分をおざなりにした裏妄想でもある。
だから会話って人の頭の中を覗いているようなもので本来は無害なもので相手の世界観を見てるだけのもの。
どれだけ人や物事の話をしていても事実・説明でなければ妄想で、脳の誤訳を聞いているようなもの。
分かり合えるというのは現代では無理な話。
そこに焦点を当てていると、自分がストレスを抱えてしまう。
自分の妄想に潰されるってことね。
分かり合えない。ということが分かっているとストレスは生まれない。
常にお互いに脳の世界がどのように訳されているのかを確認しあうという認識を持つといい。
思考を中心に生きていると、自分の事しか見てないからね。
三位一体で意識・神経・体が中心になると通じ合うし理解も出来るんだけどね。
体・神経をおざなりにし、意識と思考が混同している現代はそうはいかないよね。
自分自身がちゃんと三位一体になっていると「分かってもらえない」という妄想からも抜けられるし、相手の言葉に傷つくこともない。
自分の誤訳だから誤訳を正せばいいだけだものね。
分かってもらうには、相手を先に理解すること。
なんて言ってる人もいるけど、相手を理解したら理解されるって。。。理解できる頭があったら最初からしてるよ。
話してもわかんないんだよ。そこまで進んでしまってる。
そこに力を注ぐより、自分の誤訳を正した方が早いのは歴然。
すでに個の時代で自分・個が際立って試されてる時代だからね。