私はよく父に「人生の先を読め」と言われてきたのですが、人より先の先まで読む
んー考えていたようで考えてなかったな。と今なら思います。
先の先まで読んでいるうちに妄想・空想が混ざるんですよね。
〇〇だったら・・・というか願望というか。。
自分にはまだ力がないのに願望で組み込んでしまっているって感じかな。
人生の先を読んで行動に移すのですが、現段階では力がないから賭け・博打になって、堅実な道と賭けの道の両方を確保しながらも同時に進めばいいんだけど、妄想の道に進みたがるんですよね。
まあ、その時には堅実な道なんて見つけようともせずに、というか願望が確実に行ける!という妄想を起こしているんですよ。
本当に先の先まで読まなきゃいけないなぁ〜なんて思うのですが、経験値の少ない時にはそうはいかないんですよね。
妄想と現実の区別なんて付かないし、出来るか出来ないかなんてやってみないと分からない!
なんて頭の悪い事を言ってるw
自分の土台が分かっている現在では本当に頭が悪いと思いますよ💦
賭け事は嫌いで全くしないのですが、人生で博打を打ってるんですよね。。。
博打って賭け事だけじゃありませんよーーー!(と自分を棚に上げてほざいてみたw)
先の先まで読めるって実力がないと伴わないものと痛感いたしているこの頃です。
と、冗談はさておき。
先の先まで読めないと分かればどうすればいいのか?
人生の先を読むって、失敗したくないから読むんですよね。
要は失敗を防げばいい。
生きるって一歩一歩進んでいく事なんですよね。
というか、日常が一歩一歩の連続になってる。
その中で失敗が起こってくる。
その失敗をなくしていくことが成功への道へ繋がる。
もちろんしていい失敗もある。
なんというか、行きたい道、方向に関係なければ「自分に合っていない」で済む話なんですよね。
例えば、自転車に乗りたくって練習してもどうしても乗れない。
人生に自転車が必要なのか?
と考えた時に必要か必要でないかは、行きたい方向で決まる。
自転車を職業や趣味にしたいと思わなければそこに努力は必要ないと考えればいい。
これが自動車だったら。。。。私のような地方では必須になるので努力してでも習得しなきゃいけないものとなる。
考え方次第では、パートナーが免許を持っている人ならどうにかなるかも!
と考えればそれはそれで必要のないものになる。
必要な時は、バス・タクシーがあるのだから、済む場所や動き方次第ではどうにでもなるんだよね。
そのように、いるかいらないかは人生全体で考えるといい。
さて、ここからが本題。
人生の先を読むのではないのなら、どうしたらいいのか?
私がもっとも手っ取り早く、確実に出来る方法は
「原点を見る」ということ。
失敗を例えて話すと
失敗を通して自分の中を見るということなんです。
なぜ失敗をしてしまうのか?
元になる自分という土台のどこが違っているのか?
自転車だと、焦ってないか?バランスが崩れていないか?力の入り方が間違っていないか?
着実に自分の乗り方を正していくんです。
これをしていないと、自分の間違いを正せないし、自分が間違っているとは考えづらくなります。
順位を競うものはDNAが絡んできますが、普通に出来るようになるって自分の何かが間違っているんです。
学校での勉強も同じです。義務教育は習得できる能力のある人が普通学校に通っています。
難しい、覚えられない。などは何か体の使い方が間違っているんです。
私も勉強が出来なかったし、出来るようになったことから体の変化・使い方で変わるのが分かりました。
感情を交えれば交えるほど複雑化してしまうので現代の褒めて育てるにはイマイチ賛成は出来ないんですけどね。大人になると感情の副作用で困ると思いますよ。
感情は妄想・エゴなので妄想・エゴのために生きてしまうんですよね。
原点を正しながら生きていくって今を生きることと同じなんです。
好きなものではなく、自分に合ったものを選べるように自然となります。
感情で動くのではなく、現実で自分にぴったりなものを自分で選んでいくんです。
大人になって好きなものと自分に合うものが一緒になるんです。
自分をしっかりと見て、自分の変容に合わせてステップアップしながら生きていくからです。
自分に合う事をしながら生きていくと自分の好きな事・ものがあります。
と言いながら、自分に合うことって自分が習得したものなんですよね。
思考ではなく五感で習得しているものです。
それ以外に考えられなくなるんですよね。
五感ってそれほど自分の中心に近い無意識なんですよ。
人生の先を読むって、先を読める人ているのかな?
年齢が若ければ若いほどこれを誤る人が多いですよね。
人生読めるほど経験はないし、その年齢になってようやく理解できるものもいっぱいある。
また、その年齢にならないと決められないものもたくさんあります。
漠然と先を読んでいながら、大きくそこへ向かうために今を生きるって感じの方がいいんじゃないかな。
そうじゃないと自分の足元がぐらついていつまでも辿り着けないって落ちがあるんですよね。
もし先を読んでいるのならば、多分先は読めないよ。
なってみて初めてわかることって多いからね。
それよりも、原点をしっかりと辿ること。足元を固めること。
自分という土台が全てを引き起こしているからね。
土台の通りに自分が動いていますよ。
自分を深く理解する。自分の体を深く理解する。自分の神経を深く理解する。
その先にようやく人生設計が役に立ちますよ。
どれだけ人生設計を立てても、添えない自分だったら意味がない。
夏休みの計画帳や日々のスケジュールを立ててもスケジュール通りに動けずに見なくなってスケジュールを立てただけ!という繰り返しをするだけですよ。
もちろん、夏休みの計画通りに動けた人は大丈夫だろうけどね。
その辺りは五感に習得されてるんじゃないかな?
私は計画だけ立てて見もせずに終わったクチだったので、私と似たような土台のズレの人にはお勧めです!
ふとね、グータラで何もしたくない、、低学歴な自分がここまで変わったんだな〜って思うと感慨深い。
片付かない部屋。カーテンも開けない。勉強よりTVに釘付けで遊んでばかりいたし、勝手にストレス作ってストレス解消で車とカラオケにのめり込んでた自分。
そこから抜け出そうと、スピ系にどハマりしてどんどん出費して時間使って・・・・全く変わらなかった自分。
ここ2年が大きく変化した。
透視のあたりから変化はあったけど、意識の変化だけで自分を動かすのはほんの少し。
それでもその時期は凄い変化だと思ってた。
今の変化は比べ物にならない。
体・・神経ってそれぐらいに自分を作っている。
思考・エネルギーだけじゃこの変化はなかったんだよね。
微細なエネルギーが大元を作ってるし、支配されてる。
神経がわかると、人間そこまで賢くないし、賢かったらすでにやってるよね?
という妄想の中にいるから面白い。
それが経済社会だから〜と言ってしまえばそれまでだけど、信じて疑わずにその中に自分もいるって思っているのがすでに妄想なんだよね。
妄想族にいると勝手に暴走しちゃうから注意!
この暴走に自分で気付けると一歩前進。
ちなみにこの妄想族に勝手になれるものがある。
そして暴走し始める。
これを好む人って多分・・・・今日はこの辺でやめときます!