基本、皆自分は正しいと思っている。
自分は正しいと思っているから話すことができる。
もし、自分は間違っている。と思っていたら話す事ではなく聞く事に徹するようになる。
話す内容って、基本自分の主張を元にしたもので、前提がなければ話すことはない。
前提があっていると思い込んでいるものを元に話している。
「話す」という言葉を使っていますが、これが「生きる」に変わってもほぼ内容は合う。
自分の長所・短所を知っていながらも直らない・直さないのは根底には「正しい」を持っているから。
これは「本能」でもあるもの。
自分が間違っていると根底にあるとストレスで生きることが難しくなり自ら寿命を縮めてしまう気の使い方をしてしまうので、基本誰もが正しいと思うようになっている。
生きる上での自己価値としての正しいと現実にとっての正しいを混同しているとこの二つが絡み合ってなかなか見抜けなくなる。
現実的に正しいか間違っているかは、生きている上で物事によって現れている。
本能と現実を混同していると、失敗した時に素直に直すことができない。
指摘されると拒否・反発が生まれるのは自分を否定されたように感じ、存在の否定につなげてしまうのが原因。
指摘する側に立った時を思い返してもらうと分かると思うのですが、存在の否定ではなく物事を直してもらう事を求めているんですよね。
受け手と取手のギャップというかズレがあるんです。
両方の立場を経験しているにもかかわらず、本質が見えていないんです。
現実を生きている時と、自己を守る・・・自分の思いを守る生き方をしている時の差です。
日々の日常で行われている食い違いって大体がこんな感じですよね。
相手への理解ではなく、同じ土俵にいない、別々の世界で話しているんですよね。
相手が遠く感じるのは別世界にいるからなんですよね。
「自分が正しい」と思うことは本能です。
ただ、本当に正しいかどうかは別の問題なんです。
指摘されて本質がわからずに自分の世界に逃げてしまうのは本能と思考のズレです。ズレていることで自分の世界という妄想世界ルートを作り上げています。
別世界に逃げ込まないための方法は自分の神経と五感と意識という本能・体を使った生き方で三位一体の生き方です。
自分と生きる、本来の自分に戻るって自分を守る必要がないんです。
三位一体は3つをループしているので他の世界を作りません。
「自分が正しい」と思うのは、自分を忘れてしまったために起こる本能の回避です。
ループの世界なのに、自分を見失ったせいで線になり自分に戻れないんです。
自分と思っているものが自分ではない時に起こる現象ですね。
本当の自分が分かった時は、回避する必要がないので「自分の正しさ」は必要ありません。
だから現実社会において正しい見方・判断が出来るようになります。
思考と意識と神経のズレが起こす現象で、考え方を直そうと思っても無駄なんです。
本能の土台からのズレなので反射で起きます。
自分という土台が円なのか線なのか・・・
土台のズレはこの二つです。
円は自分と生きることで全てが自分の中にある人生。
線は他者を生きることで全てが外にあり探す人生。
最小の労力とお金と時間で出来る生き方と、最大の労力とお金と時間で出来る生き方。
三位一体は自分を扱える・操作して生きる事でこれぐらい違うんですよね。
自己処理出来るんです。
自然的な五感を狂わせない限り自己処理が出来てしまう。
人間のしている事も思っている事もほとんどが狂ってる。
自分とズレてる事ばかり。
自分を失っているから、自分を信じている。
自分の考えに執着する。
本当馬鹿馬鹿しいよね。執着してるから真実が見えてこないという・・矛盾が起こってる事に気づかない。
自分という土台に気づけないと自分がわからない。
目に見えるもので自分を保護しようとしている。
自分が自分を見つけない限りこれは終わらない。
言葉でどれだけ言われようとも意識と神経と五感が分からなければ自分を見つけることができない。
そこにあるのに見えないもの・・・
言葉を使う事で思考を奪った事、感情を履き違えさせた事で反射的に共通の一定方向へ向かうようになっている。
経済社会的には成功せいているんだよね。
少し思考の力が出てくるだけでこの辺りは分かってしまうほど脆い壁なんだけどね。
冷静になると至極当たり前のことが見えてくる。
どれだけ冷静じゃなかったのかも分かる。
誰でも簡単に分かるものだとも思う。
それぐらい狂っているんだよね。この世界は・・・・