自分の言動って気にしていない人が多いんですよね。
自分の言動より人の言動の方を見ていて覚えていて自分を見ていないと言うか忘れています。

私がこの辺りを気にするようになったのは中学の頃からで、何が原因だったのかは覚えていないんだけど覚えているのは「自分の言動で自分を苦しめてる」と言うものでした。

その時は要所要所で全体までは掴んでいなかったけど、重要な事柄だけは言動に気をつけるようにしていました。

現在、全体まで見えるようになると重要だと思い込んでいた部分の言動ってあまり意味は持たず日常の方だった。。って分かるんですけどね。若さというか、見えている世界の範囲で全く変わるんだなぁと思います。

一定の範囲を超えちゃうと真逆に転換されちゃうんですよね。
「大人になったら分かるよ」というのもこの範囲を表していた事で、昔なら大人になったら分かる事も現代では大人になっても分からない人が多いんですよね。
そして常識を変えて子供のままでいられるような社会になっちゃった。

大人って自分のしている事が分かるから自分が分かる。そして自分のしたい事が出来る。
この方向・流れで生きているから、やりたい事が上手くいくんです。

逆に自分の言動を見ていないと、子供のままで自分も相手も分からないまま。
「自分のありのままでいれらる場所」などという馬鹿なことを考えるようになります。
子供のままの思考範囲だから、「変えられる・変えられない・変えなければならない」の区別を判断出来ないんですね。
カテゴリー分けが出来ない・間違ったカテゴリー分けの中で生きているから見えてこないんです。

だから、自分の言動がきっかけで起こっている事実・現実が分からないんです。
子供なら許されていた事がそのまま大人になっても許されると信じ切っているんです。
現代の文化・教育という中での「勘違い」が残っているのも原因です。

勘違いをどれだけ正せるか。
これが自分と繋がった生き方へ向かう一歩です。
勘違いって「ズレ」なんですよね。思考と現実のズレです。

大概が自分の言動が原因ですよ。
相手が調子に乗ったキチガイ以外はね。

余談ですが、調子に乗るって「繊細」が欠けると起こります。
自分と繋がるって自分の繊細なエネルギーを見つけられないと繋がった生き方へは向かいません。

自分の本体を見つけてくださいね。
外を見ても見つかりませんよ。
自分の中にあるもので、常にあるものです。
隠れているのではなく、あなたが無視し続けているものです。

見えるものから探すにはあなたの言動・思考からです。

外に向かうほどエゴが増し、内へ向かうほど自分へ向かいます。
生きているだけで発見できるものです。
何も入りません。

外側・エゴで見つけた好きなものは自分を苦しめるものへと変わります。
エゴの中にいると分かりませんが、自分と繋がると止めるものです。

自分と繋がった生き方で見つけた好きなものは自分を幸せにします。
すでに持っていて探すものでもないのだから・・・