本質とは三位一体
魂と体とエネルギーの三つが合わさって出来ている化合物
だから意識と体とエネルギーが変われば本質は変わる。
意識・体・エネルギーという純粋な不純物を交えてなければ本来は本質は変わらないになるのですが、現段階では誰もが不純物を交えているので現時点での不純物を持った意味合いでの三位一体としての解釈で進めていきます。
この不純物とは記憶・体の神経の使い方・感情によるエネルギーの使い方がすでに付いてしまっているということです。
純粋とは赤ちゃんと同じ状態で、記憶という常識・知識がない、神経の使い方が満遍なく使われている、エネルギーは体・五感・神経の快不快でのみ動く状態です。
三位一体・本質と人生は同じになっているとはこのブログではずっと書いているのですでにわかっているものとして進めていきます。
本質を知るとは自分を知ることで、自分を知ることは本質を変えられる生き方につながります。
本質を変えられるというのは自分を変えられる・・・自分の創造なんです。
自分の創造は自分の能力を上げること。
自分のやりたいことが事が出来るようになる事。
思い通りの人生を作れる事。
自分をデザインしながら修正を加えてさらに自分を自分が望む方向へ導く事。
人生で自分に与えられたものは自分の意識と体とエネルギーだけなんです。
これは誰にも奪われず、奪えないもの。
この3つが奪われそうになると本能が働いて危機回避を行います。
この危機回避として作られたのが「ホルモン」
ホルモンが出ることによって本来の状態以上の力を出し危機回避を行います。
要は冷静ではなく興奮状態を起こすのがホルモンがあり、危機回避が行われた後で冷静になるためのホルモンがあります。
これは体の中で行われていることですが、自分で分かる形になっているものが「感情・感動」です。
感情・感動とは自分・本質のキャパを超えると出てくるものなんです。
そしてホルモンが分泌されている状態ですね。
人間は言葉の世界で生きていて実際に命の危険にさらされていないので、本能としての危機回避は頭の中にある情報・知識と体の神経の使い方によって作り出すエネルギーが決まり、そのエネルギーによって言動が出てきます。
現代では本質のキャパを超えているのは脳内のキャパオーバーとも言えますね。
視覚・聴覚でのキャパオーバーです。
本質から見ると感情も感動も全く意味が変わってきます。
だから「当たり前」「常識」になっている事には感情も感動もしないんですよ。
いいものに感動しているのではない。いい悪いで感情が動いているのでもない。
自分にとって当たり前・常識になっているかなっていないかで変わっているんです。
そして感情・感動を大切にしていると本質に辿りつきません。
これが一番恐ろしい事です。
三位一体・本質・自分につながって生きたい。
と願う人にとっては感情・感動は本質に何があるかを探るもので合って放っておけるもの・大切にするもの・味わっているものではないんです。
そこから自分の本質を探り、意識と体とエネルギーを変えるものなんです。
要は型の修正と知識の入れ替えでエネルギーの修正を行う事なんです。
これをする事によって、自分の能力が向上し、好きなことが行えるようになり、好む人生と好む自分を手に入れることが出来るんです。
自分の本質から見るととても当たり前のことなのに、自分から離れて見てしまうと真逆に変わってしまうんですよね。
キャパオーバー・・・自分の力はそこまでだよ。って言われているんですよね。
本質から見ると、
笑いって他者への攻撃と優越感
怒りって自分の無力
感動って自虐と罪悪感
喜びって自分以上
楽って自分の諦め
現在の自分の本質に対する思考のストレスが起こしているんです。
本質を見ると壊れてしまう自分がいるから自分を見ないで脳を麻痺させる苦肉の回避策が感情なんです。
この苦肉の回避策は本来知識が増える・この世界・人間が分かるようになると無くなるものです。
知識もこの世界・人間もまだ見られない子供が感情を大いに表して生きていますが、大人になって理解するようになると自然と穏やかになり精神が安定していきます。
この穏やかさと精神の安定を手に入れられない人の特徴は
型の習得ができずに体が歪んでいる人
知識が修正されず小さい頃のままで止まっている人
なのですが、型の修正と知識の修正は関連しています。
記憶も修正も持続力も全ては神経の使い方が握っているからです。
型の習得と知識の入れ替えを同時に行わないと、型の習得はできても知識が今のままだとさらに強化に定着してしまうからです。
型の習得時期に変な考え方を入れてもその考えに執着した生き方に変わり自分とは繋がれず三位一体からさらに外れてしまいます。
型の習得・神経の使い方を取得しながら、自分の中を見る。
自分から聞く。
これが三位一体での生き方です。
自分の「当たり前」は人生から「当たり前」のようにやってきています。
自分で「当たり前」を「当たり前」ではなくなった時に人生からはやってきません。
これは思考の中ではなく、本質の話です。
間違えないでくださいね。
思考での当たり前は当たり前ではなく当たり前の裏に反対になった本質にあるものです。
思考と本質の真逆の現れです。
ここまでの内容で違和感を覚えた人は多分私の言っている「質」とあなたが思っている「質」は違います。
指しているものが違うということです。
本質の世界から見たものと、思考から見た世界での質の違いです。
本質にたどり着くと誰にでも分かる簡単なものです。
本質はとってもシンプルなので客観的に感情を入れずに見てみてくださいね。
本質へたどり着く型と神経の使い方は現代の体の使い方とは真逆ですよ。
感情というストレスの吐口から脱却してくださいね。
あなたの願うことが手に入ったら感情ではなく穏やかが手に入ると思いませんか?
当たり前に手に入っている状況では自分は穏やかだと気づきませんか?
刺激を求めるのはストレスの発散で自分の本質がキャパオーバー状態
キャパはそれ以上に望めないし手に入らないということですよ。
キャパを超えない為に守りに入って望まない人生でも安泰です。
望むことで人生を崩している人が大半なんです。
望まなければストレスは溜まりません。
ストレスが溜まるのは本質が望んでいる状態です。
本質を変えるまで続くので本質を見て変えてくださいね。
望む人生を送りたければキャパを広げてください。
本質のキャパを広げればそれだけ当たり前に人生からやってきます。
本質をしっかりと見てキャパを好むように創造して下さい。
誰にでもその力はあります。
全ては自分次第で、自分の好むように作られます。
本質を同じように進みます。
本質は言語ではありません。思考でもありません。
意識と体とエネルギーの三位一体の化合物で押さえるのは3つだけのシンプルな世界です。