この物質世界って全てが手段なんだよね。
でもいつの間にか「手段」が「全て」に変わった。
現代では「手段」という認識を持っている人は一握りなんだろうな。
本来の自分を生きていたら物質社会にあるものは「手段」
自分ではないものになっていたら物質社会にあるものは「全て」
認識の違いで物質社会にあるものに対しての扱い方が変わるし生き方も選択も変わる。
考え方も思いも変わってしまう。
自分の中心から見た世界と物質社会から見た世界では考え方も思いも感情も変わってしまうんだよね。
見ている世界が違うから同じにはならない。
同じ言葉を使っていても意味は全く異なるものになる。
物質世界を手段と見るには「自分」という「本質」が分かっていないと「手段」として使えない。
ここが大きい違いなのかもしれない。
本当の自分という本質を知っている・生きているから物質社会そのものを「手段」として見られるようになる。
自分の本質を物質社会においていると手段ではなく全てになってしまうということを表しているんだよね。
物質が全てだから所有欲が生まれる。
手段だったら所有欲ではなく創造へつながる。創造だから手段なんだよね。
これは頭の良さではなく、生きてきた積み重ねによって変わるもの。
生き方によって二つに分かれるもの。
だから私という人物の評価は二つに分かれる。
自分の本質を生きている人と自分以外を生きている人では私に対する評価も思いも人物像も真逆になっている。
見ている本人がどちらで生きているかで決まるんだから当たり前の事なんだけどね。
見ている(相手)人の思考回路や視点で変わるものだもん。
私のことを本当に説明できる人なんていないんだよ。
感想でしかなく、言っているひとの思考回路を知るだけなんだよね。
これがフィルターと言われているものの正体。
自分のフィルター・他者のフィルターによって情報や知識はどんどん変わっていく。
本質を生きていないと、何が真実なのか分からなくなっちゃうから気をつけてね。
自分も信じられないから。
というか自分が一番信じられないんだよ。
本質が分からないと何をするにしても他者に頼ることになるから気をつけてね。
物質社会って創造の世界なのに創造ができない人ばかりが溢れてる。
真似をするしかなくなるし、流行に乗るしかなくなる。
追いかけ続ける人生と、創造を表現する人生
たった一つ。自分をどこと認識して生きているかで変わっているもの。
自分を掴んだ人と掴めない人の違い。
生まれてから死ぬまでずっと離れずに一緒にいるのに気づかないんだよね。
こんなに身近にあってとても分かりやすく教えてくれているのに、無視し続けてる。
自分の見方をもう一度改めて見てくださいね。