真実とかリアルって面白いとは感じないんですよ。
というのは「感情」が面白いとは感じないんです。

真実とかリアルって当たり前の事で、本能では分かっている事なので面白い・楽しいという感情が出てこないんです。
喜怒哀楽という感情ですね。

現代人の面白いとか楽しいって、思いつかないものだったり意に反したものに対して面白いとか楽しいって感情が出てきて楽しんでいるんですよね。

自然には存在しなくて、創造物であったり空想物が形になってきたものに対して感動しているんですよ。

意に反するから驚きがあって感動が出てくる。
それが日常になると、意に反しなくなり当たり前に変わり感動も感情も沸かなくなる。

サプライズが毎日続くとサプライズではなくなり日常になるし、楽しいショッピングも毎日続けば飽きて苦痛に変わる。

そこで人間は「何でも程々がいい」と考えついたけど、結局は感情の満たしから抜け出せない考え方は変わらない。

結婚して好きな人と一緒に暮らせてたのにいつの間にか苦痛になる。
子供ができて嬉しいのは最初だけ、五体満足だけでいいんだ!なんて言っているのも最初だけでそのうちに学歴だの職歴だののステータスや人間性についてあれこれと悩むようになる。

これも全て同じ思考回路で根底では同じ問題を繰り返している。

真実・現実・リアルを楽しいと思えない。
真実・現実・リアルの楽しさを知らない。

本能が喜ぶより感情が喜ぶ生き方を選んでいるという事ね。
自分の喜びを知らず、外の世界の喜びを追い求めている状態ですね。
この状態って、人に対しての要求が多いんです。人を変えようとしたり、人の力を頼ったり自分は何もしないことを選んでいるんですよね。

本当の自分を知らずに、自分の本当の姿を出そうとしない。
力を使っていないんですよね。

リアル・現実を生きていると、自分の力の出し方を習得するのが楽しいんだけどね。
自分を出す生き方か出さない生き方か。

って、これも自分を出すって勘違いしているんですよね。
自分の感情を出すのが自分を出すと思い込んでる。
それ自分じゃなくって環境だから〜💦

現代って、環境と自分を同化させているから、ちょっと自分の力を出せるようになると競争の世界から一歩抜け出せる。
それぐらいにみんな麻痺しているから能力低くっても抜き出たりする。
努力の仕方が間違ってるものね。

力抜いたら見えるものを力を入れて見ちゃうから大変だって思うんだろうな。

しかも感情の楽しさを選んじゃってるから、自分に戻れない。
自分以外のものを楽しいと思って感情でその位置に行こうとしているから、自分の力が一番発揮されない場所、自分の制御が効かない場所、自分ではなくなる場所を好んでいるんだもんね。

だから真実・現実・リアルの話が面白くも楽しくもないものに変わっている。
真実・現実・リアルは本能での気づきであって、当たり前・道理を得ることだから感情は湧かない。
偽物・作り物が混ざることで本能から離れて空想・妄想の度合いにより感情の大きさが決まる。

簡単な通りなんだけどね。
本能の楽しみ・面白さがわからないと難しいのかな?
三位一体って自分の土台で回路なんだけどね。

時頭のいい人、能力のある人の共通のものを探したらいいよ。
多くの人と一緒が正解っていう日本人の共通認識から抜け出せると本能の人間・本来の人間の力って見えてくるんじゃないかな。

感情と本能は表裏一体でどちらかしか手に入れられないからしっかりと見極めたほうがいいですよ。
環境の自分と、本能の自分の2パターンしかないですからね。