自分を生きている人と生きていない人の違いって、自分を拒否しているかどうかのように見えてきた。
と言っても意識の部分ではなく土台の部分。

最近パン作りにハマっていて「発酵」を意識するようになって発酵と腐敗の違いなんかも考えるようになったんです。
と同時に人間にも発酵と腐敗がある。
土台が発酵するか腐敗するか・・・この違いはなんだろう?と考えてみると土台を拒否しているか受け入れているかの違いなんですよね。

土台を受け入れている生き方って、土台になるべくいようとするのです。
土台から離れると土台へ戻るように体が勝手に行動しています。
逆に土台を受け入れていないと土台から離れるような行動を勝手にしているんです。

これは嗜好の好みに反映されています。
聞くもの・見るもの・食べるもの・・・
全てに現れているんですよね。

自分がどの位置に戻ろうとしているのかがその時の嗜好品によって分かってしまう。
どの位置が好んでいるのかも表しているし、どの方向へ進みたいのかも表しているんです。

土台を生きようとしているのか、土台から逃れたいのか・・・
一つ一つの決定から全てが導き出されているんですね。

それによって自分という世界・自分が発酵するのか腐敗するのかが決まってくる。
自分の世界だけで成り立っているんです。

どんな環境であれ、発酵する人と腐敗する人がいる。
環境のせいではなく土台による意識の扱いなんですよね。

ほんと誰のせいでもなく自分の責任。
ただ、ほとんどの人が自分という土台を見つけていないから無意識部分が理解できないでいる。

同じ環境下・同じ言動をしていても土台で発酵と腐敗は決まってしまっている。
だけどこの世界では言動を制御して自分を変えようとしているから「ストレス」しか生ずに神経と体を壊してしまう。

1日の行動・1週間の行動・1ヶ月の行動のサイクルで自分が発酵しているか腐敗しているのかが見えてくる。
何が発酵で何が腐敗なのか・・・・

どんな状況になるとどんな悩みを持ちどんな行動をとっているのか。
反対の状況になるとどんな悩みを持ちどんな行動をとっているのか。

リアルな自分を見てみるといいですよ。

嗜好・好みはあなたが好んでいるものではなくあなたが進んでいる方向を示唆しているだけですからね。
土台が変われば嗜好・好みも変わりますよ。