「良い・悪い」「善悪」というと人生においてとか、人間関係においてとか、自分においてとか
そんな風に考えていたんですよね。

自分から見える範囲での定義でものを考えていたんです。

自分と繋がった生き方において、体と神経と意識を中心に物事を考えていくと、この「良い悪い」という考えが全く変わってしまいます。

「良い悪い」を勘違いしていたせいで、「善悪」「正義」「正しさ」というものに取り憑かれてしまうんですよね。

人として、人間としてどうなの?
なんて言うのは全くお門違いな見方だったんです。。。
自分の「正しくありたい」と言うのも現代の常識に囚われていると「正しく」あったつもりで全く「間違っていた」と言うのはたくさんあるんですよね。

では、何を基準にして「良い・悪い」が出ているのか、どの視点で「良い悪い」を評価しなければならないのか。
と言うのは体・神経に対して判断するのが良いです。
三位一体の部分から分析していくとよくわかります。

「目」で例えてみると・・・

目が悪いと言うのは現実的に評価できますよね。
近視・遠視・乱視・老眼
これの起こっている原因として視神経の使い方が間違っている事を表しています。(遺伝はここでは省きます)

実は目の使い方で脳の神経の使い方が決まります。
そして脳の使い方で視野も変わり、思考・考え方も変わります。

目の前のことに集中すると周りが見えなくなるのはこの視神経の使い方で変わっていると言う事です。
現代の生活スタイル上(テレビのつけっぱなしなど)、体の使い方を覚える前に言葉による感情で体の動かし方を学んでしまうので、言葉や感情によって体を動かします。
体の訴えより先に感情・思いで動くんですね。
トイレに行きたくっても目の前の事を中断できない。
お腹はいっぱいなのに目の前にあると食べてしまう。
と言うのがこの現状に当たります。

視神経が使い方を定着させて、思考・視点が固定されてしまうんです。
他の考え方や視点が出来ない。
自分で探れる範囲が決まってしまうと言う事です。
他の考え方を取り入れても、取り入れられるものと取り入れられないものがあったり、それによってストレスが起こったり起こらなかったりするのは自分の範囲が決まってしまっているからです。

体優位ではなく感情・思い優位になっているのが現状です。
その現れが、視神経から来ているもので、目が悪いと言うのは意識・思考の方向性を表しているんです。

目だけの問題ではないのですが、神経によって思考・意識が変わってしまうと言う一例として分かりやすく書いてみました。
視神経って「地頭」と言われているものに関与している部分が大きいんですよね。
他には、意志・持続力が弱ければ「腰」の使い方の見直し、ひらめきは「意識」「頭部」の使い方の見直しなどがあり、体と自分の関係性の深さと言うか大切さが分かります。

根本・土台である意識・神経・体という部分からみると「良い・悪い」は全く意味が変わり、自分自身の言動に関わるものになっているから「良い・悪い」というのが存在するんですよね。

この勘違いが治るとこの世界にある善悪・良い悪い・正義不正義と言うのもちょっと見方が変わると思います。

出ている事柄・物事ではなく、土台によるものです。
全てはこの土台から始まっています。
土台の変化が本当の変化ですよ。

ほとんどは体によるものであり、その奥・原点の意識・体・神経の使い方と自然に支配されているのが人間です。

自分という三位一体と自然との組み合わせで自分が変化します。

感情・思いは自分からずっと離れてしまったものです。
そこを大切にするのは自分は変わらずにずっとこのままでいる事の宣言と同じです。

そこは自分を決定する指針ではありません。
今の現状を知るもので、今の状態であって自分自身ではありません。

この辺りを覚えておいてくださいね。