人間関係において「分からない」を言い訳にする人が多い。
分からないから言葉にしろという。

言葉にしないと「察してちゃん?」
なんていうんだよね。。。

これって関係性の薄い関係なら分かる。
だけど、恋人・家族でこれは言ってはいけない。

「あなたを全く見ていません」

と宣言しているようなもの。
気を見ていない。空気を読めない。自分の思考しか見ていない。自分の理想しか見ていない。

要は想像・妄想の自分の頭の中の住人でお花畑

「分からない」は物事に対しての手順や方法・性質などがあるものに対してはあるもの。
習ってないから分からない。情報が見当たらなくて分からないなどの類には今回の内容は当てはまらない。

仕事をしているのに自分勝手に周りを煩くしたり、見てないテレビのつけっぱなし・・・
現状に対して求められていることに対して動くのではなく、自分の勝手な思い通り・いつも通りを貫き通す

こういう人って「分からない」を連発する。

全く見ていないからだよね?

状況も現状も相手も全く見ずに自分の世界を繰り広げる。

貧乏ゆすりって周りは迷惑だけど、本人は平気。
でも貧乏ゆすりしている人でも他人の貧乏ゆすりは迷惑なんだよね。。。。

こんな矛盾を繰り返しているのに、自分しか、、いや自分の感情しか見ていないから全く気づかないんだよね。

これが「分からない」を言い訳にしている人たちのしている事。

家庭においてこの視点で生活していると子育てがうまくいかない。
だから女性は子供が生まれると強制的に試練を受ける。
いやその前から夫と暮らす事で矯正される。
日本の常識が元々そのように作られている。

メンヘラが強くなっている現代では「分からない」の言い訳も多くなっている。

相手を見ないとどうしようもない状況というのが、主婦にならないとやってこないから。

自分の言動、相手の言動、周りの状況、、、過去・未来への見返しと目的・・・

自然と「全てを見ないと分からない」という訓練をさせられて習得している。

これは人間の本能だから。
本能を使って生きているか、思考を使って生きているかの違い。

人間として生きるか、エゴとして生きるか。。。

現実・リアルを見て生きる
言葉の内容ではない。本当に見るべきものは原理・道理・性質・特性・・・

結果が正しいのではなく大元を見る。原点を探る。

結果に対して考える人と、原点を探し出すものの違い。

見える結果なんてあまり意味がないんだよね。
裏にあるものの方がとっても大切。

本当にあるもの。。。真実。。。。

見えないものを具現化したものより見えないものを見つけた方がいい。

それが本当の世界を見つけられる一歩だから・・・