物質世界って具現化なんですよね。
土台・リアルが具現化された世界。

見ている世界は全て具現化したもの。
物質も言葉も数字も記号も・・・具現化したものに過ぎない。
言葉や数字においては仮定なんだよね。
仮定が間違っていると正しいものは出てこない。
あくまでも仮定・仮説である事を念頭においておかないとこの世界の嘘にのまれてしまう。

前回の図をちょっと変形して作成し直してみたのですが、まだしっくりこないけど、卒業生さんや生徒さんには更に進めるヒントになると思います。

現実の具現化されたものが人生と思っているもの。
こうやって見ていると細胞内のような気もしてきた。
改めて考察してみよう。

話が外れちゃったけど、現実と具現化の区別・意識ができると現実という三位一体を知らないと何も始まらないと分かるんだよね。

具現化とは書いて見たものの、象徴・偶像化とも言えるんですよね。
三位一体で作られているものを偶像化した世界。

現実という三位一体で「ない(劣等感)」を作っていると、「ない(劣等感)」の偶像化したものを求めてしまう。
要は「好きになる・好む」という事ですね。
無い物ねだりはここから始まっているんです。

逆に「ある」を作っていると、現実化・引き寄せと言われるように思い通りになっていくんですね。

でも、土台と同じものを具現化しているので全ては現実化・引き寄せを行っているんです。
土台と同じように具現化されているので、エネルギー通りになっている世界です。

これを具現化世界の思考で見ていると現実化が出来るか出来ないかという区分されてしまうんです。

現実化・引き寄せで言うと素直なものほどやり易く、自然は思いのままに動いてくれます。
あくまで、エゴのない土台の意識で行うのですがね。

土台が三位一体になっていると、具現化された世界はエネルギー・神経に左右されないのでエゴが混ざりません。
三位一体を表・具現化を裏として見るのであくまで変えるのは自分の土台だけです。

最近パン作りにハマっているのですが、パンと似ているな〜と思うんです。
どれだけいい小麦や材料を使おうと土台の「こね」が出来ていないとどうしようもなくなる。
反対に安いもので揃えた材料でも「こね」がちゃんとしていると美味しくなる。

優先は材料ではなく土台なんですよね。
土台が作られた後に材料にこだわる事になる。

意識・体・エネルギーは人それぞれだけど、材料より土台を構築しているかの方が先なんです。
どれだけいい体を持っていようと使い方を間違えればなんの意味も持たない宝の持ち腐れで終わってしまう。

逆に体が少々ダメージがあったとしても、使い方・土台をしっかりしていればどうにでもなる世界なんですよね。

料理のように活かし方があるんです。
正し、土台があってこそ出来る技です。

自分を知る・土台を扱える・道理を知っている。
揃っていると出来る事。
揃っていないと具現化の世界を誰かの真似や習い事で悩みが解決出来ないままストレスを抱えながら彷徨うことになる。

単なる具現化された裏の世界と分かれば、判断は簡単につく。
ストレスも自分で産んでいる事を知る。

現代はストレスを作る回路を用い、判断は他人に預ける回路をしている。
表が見えなく判断材料がないからね。
それと、思考で体を使っているのもあるかな。
意識で体を使うのではなく、思考で感情も交えて動かしているから土台以下の力しか出せていない。
だから劣等感が生まれやすい思考回路にいて更にストレスが増し、現状が悪化する負の連鎖を起こしている。

どこかで自分が止めるしかない。
負の連鎖を起こしているのは自分なのだから・・・