「気」は「エネルギー」
その「気」は、現実化を行っているもの。
「思考は現実化する」とは言われているけど、思考は現実化しない。
エネルギーが現実化している。
このエネルギーをよく知っていたのが日本
しつけ・生活・日常・言葉の中に様々なヒントが隠されている。
三位一体・自分と繋がった生き方というのはこの「気」を中心に生きる事を意味しています。
さて、この「気」ですが、終戦の日に大切な教えをもらいました。
気を取り戻すべき大切な事。
それは娘と買い物に行った時に目に止まった着物を着ていた女性から始まりました。
体にあっていない着付けに着崩れして左右が大幅にズレ、洋服の身のこなしで裾がガバガバ。。。
小物を見ても、着物をファッションとして着ているのだろうとは分かるのです。
これを「可愛い・かっこいい」と思うような思考回路なんだろうな〜と思った瞬間に
「気の乱れ」を見えなくしたのは「ファッション」
というのが出てきたんですね。
あーそういう事か!と納得出来ちゃったんです。
着物でいう着崩れって気の崩れで気の乱れを意味します。
自分の気が乱れると着物は着崩れしちゃうんです。
気の乱れを起こさないように出来たものが着物で、着物をちゃんと着るとチャクラが整うんですよ。
正し、現代では着付けに注目されて、着物の体というのは注視されていないので知っている人はいないんじゃないかな?
もちろんスクールではチャクラ・型という点では外せないものなのでお伝えしています。
現代では、ファッションとしての着物でもいいのですが、日本が隠し守り続けていた「気」を整えて現実化させている生き方から見ると「気の乱れの量」が見て取れるって感じです。
ファッションでも気の乱れでも同じなんですよね。単なる言葉遊び程度で自分のエネルギーをそのものを表しているのは確かなので。
そんな出来事があってから夕方にYouTubeを何気に見てたら「思春期」の話が出てて内容は現代的解釈で違っていたのですが、今日の着物とリンクして出てきたものが・・・
本能からエゴに変わる時期が思春期
という事だったんです。
思春期までの間は細胞が活発で本脳優位でいられるのですが、思春期で体に交代するんですよね。
思春期までに型を習得して五感に記憶していると思春期以降でも本能を使えるのですが、型を崩しているとエゴが主導権を握るんです。
昔は元服の辺りですが、エゴに向かないよう意識付けの意味なのかな?と思ったりしています。
現代の思春期って本能では選ばない事が始まる時なんですよね。
だから思春期がない人もいる。本能を選び続けてるとそうなるけど、型が崩れると一気に吹き出しちゃって遅くやって来た思春期とも言われてしまい、本来の意味に気づけなかったんですよね。
ちなみに、思春期は本能から体への交代ですが、更年期は体からエネルギーへの交代で、これも大変ですよ〜
一気にエゴに傾き老けるか、持続できるかの瀬戸際ですw
意識と無意識と五感が揃っていないと老害まっしぐらですので気をつけてくださいね。
今日1日でとっても深い流れが見えてメッセージの1日でした。
気の乱れは心の乱れって言うけど、真の意味は理解はされていない事。
理解されるには神経とエネルギーを知らなければ分からない事だけど、ずっと日本が生活・言葉の中に隠して続けて来たものでもあるんですよね。
気づいた人だけが受け取れるって時代ではなくなって、誰も気づけないぐらいにエゴが蔓延した世の中だけど「自分」と言う動物・本能・人間そのものを知らなければ「生きる」と言うことが出来ないもの。
各家庭においてしつけとして五感に染み込ませていくもので、親として説明出来ないといけないもの。
なぜこの姿勢をするのか?
なぜ勉強をしなくてはいけないのか?
なぜ睡眠を十分に取らなければならないのか?
あげたらキリがないけど、ちゃんと説明できるもの。
経済社会とが学歴とかには一切関係ない。
人間として動物として自然としての力を出すものだから・・・
そして、子供だけではなく大人でも変えればその力は自分にも使えるようになる。
遅いと言うことはない。
自分を取り戻すのに遅いことはない。
自分と繋がった生き方はずっと今より楽な生き方になる。
シンプルな生き方になる。
自分のバランスをとるの生き方だから・・・