ほんの少し神経が動くだけで自分が変わってしまう。
こんなにも変わっているのに思考で生きているとこの変化の大きさに気づかない。
まるで別人のように変わっているのに見た目の変化が少ないから気づかないんですよね。
そしてこの変化が激しいときに疲れがやってくる。
なんというか、普段使わない神経を使うから疲れてしまうんです。

神経の使い方によっていろんな人物に変化しているのだけど、人物毎に能力の差があるんですよね。
出来る自分、出来ない自分、エゴの自分、怠け者の自分。。。。ets

これって全部が神経の使い方によって変わってしまうんです。
自分の中に複数の自分がいるという感覚は思考で生きていた時の感想だけど、今の自分から見ると別人がたくさんいる感じです。
神経一つの変化で人が入れ替わるって感じかな。
人格・性格・思考は神経から型で変わるものなので私自身は「自分」という感覚がなくなっているんですよね。
思考・エゴに傾くと「自分」として認識してしまうので、自分の居場所を確認出来る従段に使っています。

これは五感と意識によって自動的に変わるので思考で勝手に解釈して自分では行わないでくださいね。

神経によって変えるものを思考で行っている現代がおかしいんだよね。
思考で変化させてるから自分が見えなくなってる。

一昔流行った「やる気スイッチ」とか「褒めてのびる」とか・・・自分が見えなくなった人のためのものだよね。
冷静さを失わせて動かすみたいなね、、酔っ払って気分を良くさせていう事を聞かせるて感じと同じだよね。

自分って分かると冷静じゃないと判断できない・・冷静だから判断できるとも言えるんだけど、自分を見失っていない状態で、要は神経と繋がっている時で自分と繋がっているから判断ができる。

この判断というのも「選ぶ・選択」という範囲が全く別次元で考えられるから悩まないんですよね。
どちらかというと能力値って感じかな。

思考で生きるのと、自分と繋がって生きるのでは見ているところが全く違うから能力の差は歴然として現れてしまうんですよね。

神経を使って生きるって思考で生きてた時から見たら別次元を生きているみたいです。
どうにでもなる事を悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなりますよ。