今日、ふと降りてきたものが
「お金と感情は同じもの」
という事だったんです。

これは物質世界(自分の外側)とエネルギー世界(自分の内側)での同じ位置にあるもの
という意味です。

物質世界ではお金として現れていて、エネルギー世界では感情として現れている。
同じ役割を持っていると言った方が分かりやすいかも。

そして、この「お金」と「感情」は原理からいうと結果であるもの。
と、自然界から見ると二つとも実際にはないもの・人工物という事で一致しているんです。

ここでいう感情というものを少し説明すると、満たされる・満たされないと言う満足感と虚無感を合わせたものとして考えて下さい。(語彙力がなくすみません)

両方とも結果であって、結果を目的にすると自分を生きることが出来ない。
それは、この世界にはないもので人工物だから空想・妄想の世界に突入してしまうんです。
実際に現実化・引き寄せでは作るエネルギーを間違え、現在・今のこの瞬間に合ったエネルギーに合ったエネルギーを作ることが出来ません。
現実に対してエネルギーは作らなければならないのですが、この辺りをエゴで神経がズレていると真実が分からなくなっているので現実化・引き寄せが上手くいかない仕組みになっています。

ある意味、お金も感情もこの世界のものではないと言うか幻という事を理解しないといけないんですよね。
別次元・エゴ次元の話だから、この世界と混同させちゃうと誤ってしまう。

エゴに振り切ってしまった現代ではこの辺りの認識は難しいと思うけど、この認識を取り戻せないと人間社会を生きるのには難しくなってしまう。
お金と感情の使い方で苦労することになるという事。
お金と感情に悩まされ続けることになる。両方とも同じものだし、この現実にはない「仮」のものだから。

「仮」を作ったことで便利になったけど、この「仮」の姿を見失った事で本来とは違った使い方をし始めたというのが現代においては正解なのかな。

本来の躾・マナーが正しいものが認識されると変わってくるんだけどね。
ホント、情報や勉強の前に正しく理解できる体をしつけやマナーで身につけておかないと本末転倒。
何を勉強しようと情報を得ようと使えない・誤訳する体を持ってるとどうしようもない。
ほとんどをエゴに変換しているのだから純粋なまま習得はできない。

型の崩れや繊細な身のこなしは五感と意識につながって動かしている。
神経を安定させないと見えているものも見えてこない。

エゴがあると、型の習得も出来なければ、「仮」の世界も見抜けない。
そして、エゴをなくそうとしてもエゴはなくす事はできない。

本当に面白い世界。
自分の中心であるものを見つけないと出来ないようになっている。
中心である、指針である「核」を自分で発見する事で自分の舵を切れる人生が始まっていく。
そこには言語も情報もエゴもないまっさらな世界が広がっている。

この自分という世界が見えていると、エゴをなくそうとしている意味がわからない。
無くそうとして無くなるものではない。
ポジティブになろうとしてしてなれるものではない。
言語に囚われすぎて現実・事実とのすり合わせが出来ていない。というか大切な中身がないんですよね。
言語が器で現実は中身
引き寄せ・現実化って中身だからね。
ただ、この中身という意味も現実・事実がわからないと中身の正体も理解出来ない。

土台という中心を生きているか、器を生きているかの違いで全く別のものを見て生きている。
役割も重要性も価値観として現れているけど、中身は全く別物なんですよね。

同じ言葉を使いながらも伝わらないのはそのせいでもある。

自分との関係で全てが変わる世界・・・・