自分と繋がった生き方は「得る人生」
エゴと繋がった生き方は「失う人生」
言い方を変えると
自分と繋がった生き方は「作る」
エゴと繋がった生き方は「消費」
を中心に生きています。
得たいものが「プロセスからの自分」なのか、モノを得る事で得られるご褒美というなのエゴなのか。
自分と繋がった生き方によって「作る」事を中心に生きると作ることを通して自分を知っていきます。
人生も自分も道理も自然も人間も・・・理系脳が発達していると自然と得られますが、この理系脳を発達させる為に行っているとも言えます。
そして創作物が「結果」であり、次に繋がるもので更に自分を伸ばすものでもあります。
エゴと繋がった生き方では、自分と繋がった生き方での「結果」である創作物を中心に生きています。
「結果」のコレクターという感じでしょうか。常に消費意識にいます。
産むことの面白さと、消費する事の面白さ
どちらを中心として生きているのか?という所で自分がどの位置にいるのかが分かると思います。
たまに、「それって人の自由ですよね?好みですよね?」って言われます。エネルギーや体・自分を知らない人ほど言いますね。これはその人の土台で変わり今後の人生においても「得る人生」と「失う人生」としてどちらかになります。
思考・言動は自分の思いではなく、自分の位置を示すものなので間違えないでくださいね。
ちなみに、ここでいう自由に選べ・好みで決められる人は現代では一生涯暮らしていけるだけの資産を持っていて自分リズムが崩れない人のみですが、自分リズムが崩れないって消費の面白さからは脱出しているので必然に産む面白さに向かわないと人生が楽しくないんですよね。
更に増え続けるという仕組み・・・というか、なんでもそうだけど今の自分が膨らんでいくだけ。
残念ながらこれらは思考で変わるものではないので、どれだけ勉強しても知識を得ても頭だけで終わります。
「思っている・分かってるけどなかなか出来ない」という「動けない・動かない」状況に陥ります。
元々「結果」を得ようと生きているのか、「自分」を生きる為に生きているのかで出発地点が真逆なんです。
出来上がった世界を生きている人と、自分を生きている人。
この違いが分かりますか?
出来上がった世界を生きている人は、自分以外を目にしています。
自分は入っていないんです。目に見えているものに対して「どう思ったか」という思考の中で生きているんです。指針は思考の中です。
自分を生きている人は、自分を見ています。
自分の意識と神経と体と思考がズレを人生・自然という結果から導き出し自分を改良する事によって自分を豊かにしていきます。
この根底の回路は何事においても同じように回り続けています。
考え方のパターンはこの二つで、思考を見ているか、神経を見ているかだけで変わります。
自分と繋がっているか、繋がっていないかだけですね。
実際、結果を得る為に動くから結果を得られません。
結果に執着して土台を見ていないので見ていても、真似ても、知識を得ても成功法が理解出来ないんです。
失い続けているんですよね。時間もお金も・・・増えるのは失い続ける思考・知識のスペースで結局失い続けるんです。
私もそうだったのですが、地道に積み上げているものがないんですよね。
土台の本当の姿を見てなかったし崩れていたから自分という壁がいっぱい出てくるんです。
人生って自分との勝負だな
なんて思っていたのですが、単に土台がズレてただけで土台のズレが直っていくと自分という壁は少なくなっていくんです。
そのおかげで、人の真似なんてしてるから失敗してた事も分かったし、理解の仕方が違う事もわかったし、この世界は間違いだらけで自分に聞いて動くしかない事も理解したんです。
人の言う事聞いたり、価値観を合わせた途端に「得られない人生」になって何もかもを失い兼ねないんですよね。
「得る人生」「作る」って自分に残るんです。
物質ではなく、体・五感・神経に残るんです。
活用・効果・使えるものを体・五感・神経に残していくんです。
結果という得たいものは自分。自分という力ですね。
生きる為に一番必要なものですからね。
自分で生み出せるものが沢山あるほど楽しめますよ。
意識と神経を阻害しない・出てくる体の使い方をしてくださいね。