清潔って生活をしていると勝手に身についていくもの。

生活から逃げていると身につかない。

ちなみに潔癖症と不潔は裏表のどちらかに出ているだけで根本は同じ問題を抱えている。

生活をしていないと自然との感覚がズレた思考中心の感覚を身につけ生きてしまう。

生活は生きる活力・活動で、生活が物質世界の土台となる。

エネルギーは肉体という社に住み、肉体は家という社に住む。

肉体は神経から、家はバクテリアから状況を教えられる。

自分と繋がった生き方は生活をすること。
自分改善や環境改善は自然と出来上がってくる。
一般に言う「ねばならない」で行っているのではなく自分と環境に対して生きやすくしているだけ。
生活に密着した生き方をしているんですね。

ほとんどの人が見た目で行っているので、筋肉の使い方・道具の使い方・過ごし方・掃除の概念が全く違うんですよね。
言われたことをなんの疑問もなしに行っているだけだから。
しかも言われたことを行えるのならいいのだけど、行えていない。
子供に任せたお手伝いと同じでやっただけ、結局はやり直し・・・と言うのはザラにある。
感覚が自然と一致せず、思考と合わせているから起こる現象なので生きていないんだな・生活していないんだなと判断の材料にするしかない。

そしてこれが不潔の思考回路でもある。

自分の思うように体が動かせないと言うのも同じで思考と感覚のズレから起きている。
そして自己啓発やノウハウ系やスピ系にずっと騙され続けることになる。

何も積み重ねていない、大切な場所を抜かして思考の望みばかり追いかけているからずっと騙され続けて身にならない。

まあ、不潔になる人は自分を諦めてしまっているのでその系には騙されないと言うか、成長させようとしていないからある意味大丈夫なんだろうけど、自分が成長しないから現在の自分と思考の自分のギャップが広がってて年々不潔感が増すと言う事が起こっているので気をつけてくださいね。

逆に潔癖症は年々潔癖が増すから自分と周りが大変になるし、無菌状態を目指しちゃうから良い菌が増えない。

生活という生を見ていないと何も判断が出来ないから自分基準を貫いちゃうんですよね。
自分が気にならなかったらいいし、気になるから行う。と言うのが自分基準ね。

この自分基準を生活に取り入れるって、一人暮らしならいいけど家族となると厄介。

でもこの自分基準に対してはデリケートな問題なんですよね。
所謂「地雷」
なので誰も言わない・・・言えないんですね。地雷踏みたくないからw
私も過去2回ほど地雷を踏んで大変だったので2度と言いませんよ。
自分の神経の方が大切ですからね。自分を守る術を持って生きるのが一番です。

神経と思考と感覚のズレが起こしているものはこれ以外にも沢山あります。
このズレによって「分からない」「判断できない」などが起こっています。

清潔感を出したところで、清潔ではないんですよね。
見た目だけ。生活の中では清潔な生き方はしていないんです。
判断基準が見た目という思考だから。

いつの間にか「見た目」だけに拘った生き方になってしまい、本来の生活を忘れてしまったんですよね。
この方法がいいよ。これしたらいいよ。
どの基準でのものなのか、一度考えてみたらいいですよ。

何に対して拘っているのか。
何を得ようとして拘っているのか。

神経・意識・体を生活を通して生きてみると拘っていた見た目って手に入ると思います。
見た目を気にして生活しているから手に入らないんです。
習得しなきゃいけないものを飛ばしてしまった為に、思考と感覚がズレちゃったからね。

清潔にしようとして生活しているのではなく、自然と合わせて生きているから清潔と言われる生き方をしているんです。

見えているものは全て結果で、結果を真似るのではなく土台を真似てくださいね。
土台は思考では真似できませんよ。