スクールを行っていると常に思うのは「言葉」によって失われた物が壮大だったってことなんですよね。

言葉によって便利になったかもしれないけど、失ったのもは言葉以上に大切な物なんですよね。
人間の土台にあたる物で、地球という物質世界を生きる上でも最も必要な物だから。

人間ってどうして大切なものを失うように生きているのかな?
とも思ってしまう。

物理を知らなくても生きられるようになったことで、自然を生きられなくなっている。
だから自然である状態の動物や植物そして赤ちゃんの育て・しつけが分からなくなってしまっているんですよね。

思考と体のズレが大きすぎて「扱う」ことが出来なくなっている。
自然の物が扱えなくなっているんですよね。
そして「扱わなくていい」物が増えている。
いろんな物が自動化されて行く中で原理・道理が見えなくなっていくんですよね。
これによって格差はさらに広がっていくんですよ。
勘違いした人間ばかりが目に映るようになってさらに感覚は麻痺していっているんですよね。

感覚が麻痺しているから、記憶の仕方も物事を行う仕方も全くの真逆になりみんな苦労している。
自分で自分を使えない人間にしている。

体に染み付いた感覚は手強い。
現代は感覚を体感でシミつけているのではなく、見て聞いた物でつけているからさらに手強い。
空想と妄想で感覚を使ってしまい、現実とのズレ・ギャップで何も扱うことが出来なくなっている。
要は習得できなくなっていて、不得意だと勘違いしている。
そもそもの原因は感覚と現実のズレであって、そこを直さない限りは難しくなる。

記憶で言うと、教科書を読むと眠くなったり覚えられなかったりするのに、漫画だと簡単に読めて勝手に覚えていく・・・

この差は何なのか?

漫画の歴史と歴史教科書・・・何が違う事で覚えられたり覚えられなかったりするのか?

このロジックに気付いていない人が多い。
漫画と文字で違うと思っているかもしれない。
それならば、小説と歴史本では同じに記憶できるのか?
と言う疑問が出る。

全てはエネルギー・神経を見たらわかる事。
自分の土台によって変わってくるもので体の使い方と型ができているかによって違う。

日本の教育はこの土台について重点を置いていた物が現代では変わってしまったことによって誰も理解できない。
スクールで伝える度に「なんで気づかなかったんだろう?」「正しくその通りだわ」と目から鱗が落ちている。

生き方の中・生活の中に神経とエネルギーが組み込まれていた日本の文化は今ではすっかりなくなっている。
力を使わずに簡単に出来る・こなせるようになる方法だったのに本当に勿体ない。

目に見えないものを扱っていたから、自然を巻き込んだデザインの世界だったし、技が群を抜いていたのにね。

少しずつでもこの心・エネルギーが増えていったらいいな。
自分の中で無くなってしまったものを復活できるのは自分次第。

体の使い方を変える。
自分のエネルギー・神経に集中する生き方が自分の能力を引き出してくれる。
単に使ってないだけだからね。
使い方が真逆になっているから使えなくなっているだけ。

力を入れては行けない場所に力を入れて、入れなきゃ行けない場所に力を入れていないだけ。

そして体を大切にすること。
神経を中心にしていい状態になっていくこと。

これが自分を大切にするってこと。

現代は思考を大切にして生きているけど、それは幻を大切にしている。
自分でも、他人でもない幻・・・だから現実とのズレが大きくって何をやってもうまくはいかない。失敗ばかりで何も出来ない人間だと思い込むしかなくなる。

本来は神経を大切にして生きるのが自分を大切にするってことで、現実とのズレがなくなり、何をやってもうまくいくようになる。
上手くいかないのは神経のズレだとわかってくる。
神経のズレを治していくのが自分を大切にすることで思い通りに動いていく。

言葉が使われなければ失われなかったもの。
動物も植物も自然は今でも持ち続けているから・・・・

失った物がどれだけ大きいものかわかるかな?

取り戻した人が分かり変わるだけ。
知らなかったら今のままで全く見えないから、見えない分幸せでいられる。
知らなければ幸せってこともある。

だって知ったらもっと早くに知っていれば!
って後悔がとても大きくなるから。
でも、知った時がタイミング。
思考が選べる時ではないとすんなりと入ってこないから習得が難しくなる。

動くタイミングが習得できるタイミング
早く知っても多分スルーするからね。

習得してからが新しい人生のスタート。
同じ世界にいながら違う世界に住めるよ。