自分の思考に対して間違っているのか正しいのかに重点を置いている人が多いのですが、それより重要な事があります。

正しい方向へ行きたいが為に思考内容に囚われているのでこの重要なことに気付けません。
間違いを正したところでこれからお話をするこの一点が分からなければ結局善悪問題に悩まされることから逃れられません。

私が思考を信用していない。と言えるのも思考を起点・基準には見ていないからです。
思考は算数でいう答えの結果であり、私が見ているのは計算式です。
計算式が重要で答えは計算式を自分で分かるための道具でしかありません。

答えが見える形で現れているもので、計算式は見えない形で自分の土台にあるものです。
答えという見える形になる前に計算式を自分で作るのが土台を生きることで、答えという見える形になったものに対して生きるのが妄想世界で生きることです。偶像崇拝しているのと同じことですね。

偶像化されたものを見ていて、本体は見ていない。
コピーを本物だと思っていて、コピーしまくっている感じかな。

だから形が現れたらそれを信じてしまい、違う形で現れたら間違い・違うものと捉えてしまうんですよね。
これが善悪・ジャッジの正体

これを思考で行っているので、同じ事の繰り返しをしているだけなんですね。
考え方を変えているのではなく、出てきた答えを変えているだけで計算式は変えていない。
だから、見えない部分では計算式があってないから修正する為に神経・精神のズレを起こします。

その神経・精神のズレを人格・人間性・性格・自分、時によっては個性と思ってしまっています。

この生き方を見ていると自ら神経の崩壊をさせているように見えてしまいます。

思考は土台からくる計算を正しく行った結果・答えです。
土台を変えると結果・答えは正しい結果・答えを出してくれます。
答えを変えたところで土台は変わらないので、裏表の人格が出来上がります。
土台人格と思考人格です。
複数の答えをもてば、複数の人格が思考に出来上がります。
土台は1つです。思考は複数作り上げられます。
この混乱が悩みという形になったり、選べない・選択できない・行動出来ないという優柔不断という形になったりという弊害の原因だったりします。

この状態は多重人格の「混乱」が起こっているだけで、計算が出来ないつまり本来の思考・考えるという神経の使い方が出来ていません。

私が思考を信じていない・重要視していないのは、思考という結果を見ているだけで土台を変えるための指針でしか見ていないからです。

重要なのは土台の計算式の中身です。
この計算式の中身は身体です。意識と肉体の連結で自分の2つの核が合わさった土台です。
エネルギー核と物質核、別の世界の土台が二つ合わさった世界です。

なので、計算式は物質とエネルギーと両方です。

この世界は形を様々に変えていますが、全ては同じものです。
マトリックスと同じなので見直してみるといいですよ。
久しぶりに見るとまた違った感覚で捉えられて面白いです。

人間に騙されないでくださいね。
信じるのは土台だけ。
信じると言っても正解不正解・盲信という意味ではないですよ。
物理なのでお間違えなく。