本って読めますか?
本に限らず「文章」「文字」の羅列を正しく読めて解釈出来ているかが焦点になるんですけど、結構出来ていない人が多いんですよね。

本を読める人って結構なんでも出来ちゃう事が多いです。特に機械系には強いんですよね。

本ってなんでも書いてあって便利なんです。知りたい事が知れる。
特に説明書なんてその通りにしたら出来ちゃうんですよね。
本を読めるって文字に慣れていて読むのが苦にならない。
文章を正しく理解出来ると行えるようになる。
だから説明書をちゃんと読むしすぐに使えるようになるんです。

昔から本を読みなさいとは言われていますが、文章・文字に慣れさせる事を目的とした最初のステップなんです。

社会に出ると文章での理解は必須ですよね。
資格を習得するにも勉強が必要でそれには文章を読む力が必要になってきます。

文章を読む力が付いたら、次には理解力。
書いてある事を理解できるとは、実際に書いてある事と同じ行動できるかどうかなんですよね。

同じ行動が出来ていないと、理解不足か誤訳のどちらかです。
それを分かりやすく指針にできるのが、現代ではPCのような機械ものなんですよね。

機械って、故障やバグでない限りは答えがあるし説明書に文字で書いてあります。
書いてある事が出来ないんですよね。

苦手・・・とも言われますが、PCのような機械ほど簡単なものってないんですよ。
それ以外にないので簡単な算数の連続なんです。
思考はいらないし、感覚だけなんです。

たまに、文系なんで出来ないんですって言われるけど、文系だからこそ出来るんですよ。
文章を理解したら答えが書いてあるんですから計算ではないんです。
電源は一個しかないんです。解釈で変わるなんて書き方はしていないんですよね。
しかも図解までしてある。
そういう見方からすると組み立てキットもプラモもレシピも一緒ですよね。

こっちは器用不器用が関係して五感・神経と体が関係してきますけど、器用不器用も同じロジックで神経のズレを直さない生活をしているだけなんですよね。妄想を生きているので気づけずにいるだけなのですが・・・

本を読める人ってPCのような機械が得意ですよ。
器用不器用は関係ないんですもん。
本を読んでいない人、読んでいるようで誤訳している人が機械が苦手なんです。

本を読むのが大切なのは、本の内容ではなく文字慣れして五感で行えるようになる事と、五感と行動のズレが生じないようにする事なんです。

五感で行えるとは、読むことの苦痛がなくなる事です。五感が文字に慣れると苦痛ではありません。
苦痛が生じるのは五感がまだ慣れていないという合図です。
あなた自身のリズムと読むリズム・解釈リズムの関係です。

五感と行動のズレは、行動が一致しているかになります。
五感と行動のズレは誤訳か、五感と行動の間に思いを挟んでいる時です。
誤訳は記憶の間違いで、思いを挟んでいるときは型のズレ神経の使い方が間違っている事が大半です。

説明書や機械の扱いものについての情報って間違っているものはないんですよね。
間違う事がないからです。誤訳もないからですよね。
それが出来ないのは自分の中の誤訳がある事なんです。

人間が作り出した機械商品って答えがあるものです。答えだけの世界で計算がない。
計算部分は生産時に終わらせている。
自然は答えがいくつもあって状況によって変わるもので計算が必要なんですよね。

生活・自然って計算が必要なものばかりでその中を生きているのに、答えのある機械ものってとっても簡単に感じてしまう。神経操作なんて生活・自然に比べたら圧倒的に少ないし、気にしなくてもきれいに出来てしまう。

そういう視点でみると、機械ものって人間から神経操作や型を気にさせないように進化しているのかもしれない。
エゴ人間にとっての苦痛は神経操作や型だったのかもしれませんね。

その為に思い・感情が膨れ上がって本来の人間・自分が見えなくなってもしまったんですよね。

勉強も記憶も同じなんですよね。五感じゃなくって記憶に頼るから神経・精神がズレて狂いだす。
五感として捉えると簡単なのにね。

何事も内容じゃなくって五感として見ると人間の能力ってとっても上がるんですよ。
五感として捉えるから脳を使わない。
体の使い方が分からないから見ているものを真似しているだけなんだよね。周りやメディアと同じになるのも当たり前か。
それしか知り得ないものね。
しかも自分の中で起こしているし、知り得ないものを見つけようとしているからさらに混乱が起こる。
言い訳ばかりが思いつくようになる・・・

負の連鎖ですよね。
自分のベクトルさえも見えない・見てないからね。

本当に最近は進むのが早い。

脳の使い方を変えたあたりからずっと記憶ができない!って悩んでいたけど、解決しちゃった。
今までの物事の内容的を記憶するという思考の記憶がしなくなっただけで、五感の記憶に変わっていただけだったんです。
違うものに変わっていたから気づけなかっただけで、脳の使い方変わったら記憶も変わるよね〜という単純なことにようやく気づいた。

そして、結構理系脳ができてきたと思ったけどまだまだだった・・・
ある意味理系脳も文系脳も同じものだ。文系って計算だもん😭
理系が物理で「在るもの」の理解で文系が「在るもの」の組み合わせというデザインで計算

ファッションとデザインは全く違うので誤訳しないでくださいね。ファッションは感情系でエゴを満たすためのものです。
文系と感情系を同一と勘違いしている人ってファッションとデザインも同一に扱っているんですよね。

話がだいぶん逸れてしまいましたが、本を読めないって誤訳・ズレが多いんですよね。
内容に特化して行ってしまっているから五感の訓練が出来ていないんです。
だから脳のキャパも少なくって体が疲れてしまう。

小さい頃って、スポーツが出来る子って勉強も出来たんですよね。
その頃って三位一体だから神経の使い方が正しく使えていると起こる当たり前のことなんだけど、内容に特化した脳の記憶だったり、何かに特化した体の使い方をさせちゃうとズレが起こってしまうんです。

全ては神経の使い方なんですよ。
見ている世界を変えてくださいね。