人間は霊長類と分類されている。
新脳皮質と呼ばれているものが多くあるから。
この脳は思考を司る。
思考を与えられたことにより、他の生物よりも多くの視点を持つことができ、人間ならではの「合わせられる」という能力を持つことができた。
思考を本来の神経で使うのであれば、様々なものと「合わせる」ことが出来る。
自分に合わせるのではなく対象物に合わせることができる。
エゴが強くなると「合わせる」事より「合わせてもらう」方を好むようになる。
神経のズレから「合わせる」ということが億劫になってくるのだ。
だから、体を使っての作業はとても苦痛になってくる。
手先の器用さ、運動能力がこの辺りに現れてくる。
思考と神経の使い方で変わるもの。操作の仕方を知らない。神経の使い方が間違っている。
という話で終わるものが、器用不器用、運動能力、などの得意不得意として捉えているのが現代でもある。
神経を知れば知るほど言い逃れが出来ない世の中にもなってくるのかも知れない
結局は自分と離れたこと、勉強不足という部分に陥るのだが、人間の言い訳というものを聞いていくと「自分を使ってない」ということになってしまい、友人とは「日々精進」と話がまとまる。
それぐらいに、自分に与えられたものを有効に活用して来なかった生き方を現代はしている。
気づいただけ「まし」
気づいた時から「日々精進」「体だけを操作する」
に変わっている。
体を正しい位置と使い方をしていればほぼ操作しなくても済むし、意識も自分からは離れない。
エネルギーも体で作れるから、思考は動かなくて済む。
人間に与えられたものを正しく使うことが楽に力を入れずに生きられる。
意識と思考が結びつき混ざっているから何も見えなくて思考や情報を当てにするようになる。
そして、思考がエゴによって固まっているから、その部分に当たる筋肉が骨とくっ付いているから、本来なら一番楽な姿勢が一番辛い姿勢へと変わってしまっている。
歳を重ねるごとに簡単な方法を見つけ扉をさらに開け続けているのはいいけど、その度にこんなことにも気づけなかった人間って・・・・って思考の馬鹿さ加減にうんざりする。本当ゾンビレベル!
こんなゾンビに従ってたなんてねー自分で厄介ごとを飼ってたものだよ。
しかもとっても大切にしてたし、スピ系・啓発系・宗教なんてそれを好きになれって行っているようなもので、変わらなくっていいとまで言っている。。。。
大人になろうよ
なんて思う
現代って子供頃のわがままを大人になって叶えようとしているものであって、子供の頃の肉体で動いていた本来取り戻すべき感覚は取り戻そうとしていない。
まあ、今の子は小さい頃から言葉で体の使い方を教えられるから、自然と自分の体の使い方を学ぶ事は少ないんだろうけどね。。。。
だから、小さな頃から体壊しちゃうし、大人になって腰痛持ちが多いのよね。
全く自分の内側見ていない証拠だし、内側で生きてたらそれも自分で治せるし、自分で見つけられる。
というか、見つけられるのが自分と繋がっているから・・・ともいう。
自分の内側を見て生きている方は多分最近のブログを読んだだけで自分でできると思いますよ。
是非がんばってみてくださいね。