なんでもそうなんだけど、本当に「できる」という所までいくのはなんでも奥が深い。
深く考察していかないとちゃんとできないんだよね。
適当にやっていたから、すぐに元の状態に戻っていた。
片付けても片付けても散らかっちゃうって、結局散らかるように片付けているんだよね。
片付けによって奥にあるものをしっかりと見極めていかないと完成形が見つからない。
これって何をするにしても、適当にやってると同じ事が起こっている。
結局自分の奥深くにあるものを見つけてそれに従ってやらないと上手くいかない。
生きるって全て同じ事を物や場所、時を変えてやってるだけなんだな〜
仕組みを知って、どこに行きたいかを明確にして、自分はどこにいるのかを知る。
自分の人生だったら、まずは人生ってものを知って、自分がどのようになりたいかを明確にして、今までどのようにしていたかを知り、現在どの位置にいるのかを知る。
これが明確になれば、どのようにすればいいのかの行動が見えてくる。
「過去は確定、未来は目的、現在は自由・・・自分の身体への定義」
なんでも闇雲にやってると上手くいかない。
上手くいったとしても、道理が分からないから他での再現が出来なくなる。
何かの真似をしても上手くいかないって根本が違うんだよね。
小手先を真似しても擬似は作れてもオリジナルにならないのと一緒
常に満足は得られない。不安定な綱渡りと一緒なんだよね。
自分にとってはどうなのか?
合わせられる場所がないから。
自分と合わせてないし、自分の根元にある「原動」とは外れている事が多いから。
感情で動くのと自分の原動で動くのは全く別物を自分が受け取る事になる。
本当に欲しいものは受け取れないんだよね。
小手先の真似って楽だし、便利だし、今の時代小手先の情報しか出てこないから、、、
自分の根底にある原動を見つけるのは自分で自分の中をみるスキルがいるんだよね。
自分自身はオリジナルだし、人とは違うから、、、
結局、自分を見ていないから、人のまねをするしかないってなるんだよね。
見えてる部分って、根底があってこそ役に立つモノであって、最初に必要なモノじゃない。
全体的に見てみると、真ん中より少しゴールに近い部分にあたる。
目先に目が行っていると最初に見えちゃうんだよね。
これって自分を抜かしてる。自分を入れていない。
自分を無視しているから続かない・中途半端・楽しくない・満足できない・などになっちゃう。
自分を入れていない生き方って結局ずっと迷っている状態。
中心がない状態だものね。
だから、承認欲求や物質欲求から抜けられなくなる。子供状態で与えるっていう状態にはなかなかなれない。
無理して与えようとすると、見返りを欲求してて、与えているという偽の自覚によって子供である事に気づけない。
自分の中心を確保できていないことに気づかず、これが自分だと主張している。自分を認識していない。
様々な事柄から自分を発見できる。
自分を見る・・過去の自分と今の自分は見られる。だけど、未来の自分ではない。未来は自分で変えられるから。
今の自分を変える事で未来は変わる。
正し、変えるのは根底であって小手先の見える部分ではない。
小手先を変えるのは楽そうで結局は続かずストレスになる。
癖がつくまで大変な思いをする。
変えようと思って変えられる事と、変えようと思っても変えられない事がある。
これは根底から変わっている時と、小手先だけを変えようと思っている時の違い。
また、エゴによって変えている時も早くに変わるが、ストレスや障害などが大きく発生する。
エゴによって変えるのは、リスクを伴う危険性が分かると、私は最も手を出したくない部分になる。
後戻りできないもんね。失うものが多すぎるよ。
現代では、エゴによって変えさせようとするものは多いけどね。小手先しか見てないから。
小手先の重要度をクローズアップしてて、アンバランスを生み出してる。
何もかもが見えなくなってる。
自分という土台が見つけられて初めてこの世界の情報が役に立っていく。
見つけられないまま情報に左右されて生きていくのは自分が見られないようになっていく事でもある。
学校の勉強を見ていくと、勉強している内容が重要なのではない事が分かる
トータル的に様々な脳の使い方をさせる事が目的だったのが義務教育である事が分かる。
小手先に重要度をおくと見えてくるものが見えてこなくなる。
自分を見失うようになっている。
小手先にエゴをプラスしてしまったためにこのような現象が起こってしまったんだよね。
自分に与えられているものをしっかりと使っていけば見えてくる。
自分に与えられているものを勘違いしないでね。
見えているものに惑わされずに・・・・