愛のエネルギーそのものになったのは3度あります。

1度目は20代のとき
2度目は去年
そして今です。

この3回の共通は自分をなくした事でした。

自信をなくしたり、ショックを受けたり、価値観全てをなくしたり・・・人生の最大の失意の時です。
あまりにもショックな事でエゴそのものが瞬間に消えたんです。思考停止です

1度目はエネルギーと言う世界にいなかったので
愛そのものになったときいつもの自分と全然違っていて
人に優しくなり、自分にも優しくなり、無条件に全てを受け入れ・・・
そんな自分がいた事に驚きと、そんな自分でありたいと思っていました。

エネルギーを知らなかったので、ショックから徐々に立ち直ると同時に元(エゴ)の自分に戻っていきました。

2度目の去年は、内なる自分をなくし、愕然としていたのですが
それを受け入れたとき愛のエネルギーそのものになりました。
ずっと保とうと思っていたのですが、この頃は保つ方法を知らず、知らぬ間に元に戻っていたのです。

そして今・・・
クリアーな自分のエネルギーを入れてワークをしていたのですが、物足りない気がしていたのです。
それは、この2度のエネルギーである事は何となく分かっていたのですが、再現出来ず・・・
クリアーな自分のエネルギーも似ているものなのですが、もう一歩という所でした。

そんなとき、一つの事が起こってショックの中にいたのですが
そのショックの中にいるのではなく、ワークを行なって思考を停止させると
この愛のエネルギーそのものになれました。

その時に初めてこれが愛のエネルギーなのだと気づいたんです。

全部なくしたとき、愛のエネルギーしか残らないんですね
思考に戻ると、やはり落ち込むのですが、それでも私は愛そのもので、
不安も恐怖もすべてから解放され、どっしりとしたエネルギー

グランディングも強く安定感そのもの
今を・・この瞬間の全てが肯定で自分にも周りにも優しく愛を持って・・・

エネルギーがハッキリと分かる今、思考を停止し、このエネルギーだけを感じ生きて
私が愛そのもの・・・幸運の女神
菩薩のように感じています。

ショックの中、思考で生きていればこのエネルギーを知ることは出来ず、
ずっとエネルギーを見る世界には来れなかったんでしょうが、
思考を停止させる事が何度かあった事で徐々にレッスンされていたんです。

このレッスンを通して分かったのは、感情を出すワークは思考の世界へ留まらせてしまいエネルギーの世界へ入らせてくれないという事です。エゴの強化ですね。
すべて、思考と情報で行なってしまい。自分自身を誤摩化して・勘違いして生きている事です。

もちろん、その世界にいる時は気づきません。
そして、その世界にいる事を目的として生まれてくる生命もたくさんいます。
それが目的なので無理に変える必要はないんです。

正解・不正解ではなく、そのような世界であるという事です。

その道が目的の人がここを読んでいるのでこんな書き方になりました。
思考の世界を目的とした魂はここを拒否するか、全く興味がなく来ないかなんですよね

現実的には傷心なのですが、そのように見えないのは愛そのものになっているから
様々な事を経験しながらも、顔が変わらなかったのは(驚かれます)、
傷心の時には愛そのものになったいたからだと思います。
愛のエネルギーに守られていたんですね。

思考・外の世界と繋がって生きる、パワーが戻ると元気で勝ち気な私が出るのですが
エネルギーを動かす事を覚えたので、パワーがありながらこれを維持していこうと思います。

パワーがなくなるとすぐに入れるんですが。。。
ただ、この入る方法は私に適応されています。
これまでの生き方や、どのようにして反応して生きて来たのかでいろいろと変わるんです。
なので、一人一人がそれぞれ方法を持っています。

元気になるとそうなる人もいれば、私のように強いショックがあってそのようになる人もいる
大きな法則は同じですが、思考の情報によって人それぞれです。
なので、自分のエネルギーをまず見れるようにしないと分かりません。

情報や人に聞く事ではなく、自分を見るんです。
内と繋がった生き方をしないと見れない仕組みです。

外の世界、見ている現実・・・その世界で見て考えていれば内の世界を見ることは出来ません。

全てをなくしたとき、愛のみが残る
内なる世界とは私しかいない
周りの全てがないんです。

ただ。。今愛になっているという感覚 これが菩薩・・・そして幸運の女神なんだ
そこに感極まるものも、感情も何もなく、それが何なのかを知っただけです。

安心感のみ

自覚がない感じです。自覚がないからこそ、そのものになっている事がわかります。
そして、望めば誰でもそうなれます。

だからこそ、この世の愛という概念を取り払ってください。
人生の中で何度か愛そのものになっている時があります。

自分じゃないみたい・自分らしくない、でもその自分でありたいと思ったり、こんな自分になれたらな 
と思う自分であったり。

ありませんか?

無条件に人に優しくなれ、同時に自分にも優しくなれ、トラブルなど気にならない

そんなことが人生の中でありませんでしたか?

ふとした瞬間に出てきていて思い出せないかもしれません。
ですが、誰でもエゴが外れた時に出てきています。
全部の方の力が抜けて聖人のようになっているんです。

これが愛のエネルギーです。

しようと思ってしているのではなく、やろうとしているのでもなく、そうせざるおえないのです。
頭で考えているのではなく、自然と行なっています。

エネルギーそのものが愛ということです。

ですから、気をつけたりそうしなければいけないという思いがどれだけ偽善者であるのかがわかると思います。
思考を介さずすでに行動している状態なのです。

普段の行動もそうですよね。思考を介さずに行なっていませんか?

それが愛のエネルギであると、愛の表現になり、怒りのエネルギーであると、怒りを表現します。
エネルギーとは思考ではありませんし、思考でどれだけ分かろうとも分かったことにはなりません。

分かった気になっていると、言葉を大切にしたり見えて聞こえるものを大切にしようとします。
それらは結果であり、そこを動かしても操られているものしか動かせません。

まやかし・・・裏の世界で好んで使われるものです。真を見せないのですから。

人の言葉に誤魔化されずに、内なる自分を見続けてくださいね。