本当に好きなものとは刺激がありません。
探求であり、自分が知りたい・極めたいと思うもの。
刺激というのは感情が出てくるものです。  

ここは好きだからするけど、ここは嫌いだからしない。なんていう御都合主義です。
好きというのは感動。 何をしてても辛くても苦しくても感動。 だから飽きることがないんですし、自己の向上なんです。  

刺激で好きなものというのは、感情を刺激してストレスという刺激を消すために行っているもの。
ストレスの原因がなくなればすぐにやめてしまうものですし、新しく興味があることが出てきたらすぐに乗り換えます。

良い刺激で見たくない自分を覆い隠せるものなんです。
一時の快楽と同じですね。  

好きなものってどんな状況下でもその状況に合わせてしているんですよね。
だけど、好きなものを刺激と勘違いして逃げてばかりいると自分の好きなものからも逃げることになります。  

感情の刺激というのはそれほど自分から遠のくことなのです。
感受性と感情との区別もついていないからです。  
感受性の強い人ほど感情豊かで表現が豊富だと思うかもしれません。
逆です。感受性が強いから表現ができるほど余裕なんてないんです。

一般に感情豊かで表現が豊富なのって何?と思いますよね
頭の中の感情と情報(記憶)いう部分の住人さんです。
何も現実見てない。
国語ができてない。
国語と感情を勘違いしている。  

感受性が低いから、周りの大人のように感情というものを作り逃げてちゃんと反応をしてあげなければならない・楽しませなければならない。
なんて人も多いですね。  

感情を作ったばかりにストレスという刺激を作る そのストレスから逃れるために代わりの良い刺激を求めての行動で刺激を与えることで逃げる。
それがこの世を生き抜くための最大の得策になっているんです。(サル真似の延長)

それで周りが動いてくれ、生き抜くための知恵になり、経済社会を生き抜くことが最大の目的になっているからです。

  現代を見ていると感情の表現の勘違いが媚び・優越感になって演じてる感全開(事前にどんな風にしようか考えてることありませんか?) 感情の表現には程遠いものですね。

誰のため・なんの為に生きているんでしょう?
ちゃんと自分と向き合い中を見たらわかりますよ。

感受性強い人は強すぎるから、グランディングが強くなり逆に冷静だったりするんですよ
今この瞬間にいるからなんですね。  

ありのままに受け止めその中を一生懸命に生きる。

刺激が当たり前の日常になっていると、常に刺激の中にい続けようとするし 穏やかが当たり前の日常にいると、穏やかにい続けようとする。
日常の中にストレス作り出して溜め込むように情報を与えられ続けているのです。
ストレスというものに変換してしまうのはまさしく国語ができていないということだし、 今この瞬間という事実の中にいないとことです。  
瞬間に頭の中の情報と感情という場所に逃げ込んでしまうのでストレスを作ります。

好きなことをしている人というのは穏やかなところにいます。
好きなことというのは刺激ではないので、何かを自分に与えてくれるものではありません。
どこまでいっても満足するものでもないでしょう。常に自分との対話の世界なんです。  

自分と対話できるから、すべてのところで同じだとわかるんです。
1つの道に行かせるものです。
刺激を求めての好きなものはその道へは行かせてくれません。
入り口にも到達できないでしょう。
目的は、刺激を解消するための刺激なんですから。  

このスピリチュアルという世界も、ほとんどがお金の問題が解消したらそんなのいらない っていう人ばかりでは?

人生のストレス解消を目的としてやるのは本末転倒です。
引き寄せも一番遅いです!
だったら、物質的に力技で稼いだ方が辛くても頑張った方が早くたどり着くかもしれませんね。  

エゴをなくしたらそれらがやってくるという仕組みですし、 それらのエゴが遠ざけているんですよ〜〜って言っているんです。
自分自身がエゴを作り出し、作り出したエゴが欲しいものを引き寄せない現実を創り出している。
エゴが大きい人ほど刺激の世界にいて好きなものを勘違いして生きています。

感情の表現も勘違いしたもので、豊かではなく貧素。。。演じているんですものね 現実見てないから、なんでもワーワーキャーキャー・・・まあ、それらが良いとされてるマスコミの情報に踊らされて真似して。。。自己に戻ることよりサル真似一直線。

それは、好きなことがなんなのかもわからない・・・っていうのは当たり前です。  
でも、分からない!って言える人はまだ大丈夫です。
自分を見ています。

刺激を好きな物としているのが一番厄介です。
勘違いの真っ只中なので気づけません。
逃げている人生にも気づけません。
一生だれかのサル真似をしながら生きていきます。

そのサル真似する人を誰にしようか?と探しているんです。

刺激がないと動けないんです。
刺激を受けて原動力になる。

刺激がなくても動けるものが好きなものですね。  
だからこそ、本物・偽物にこだわるんですね。

自分で見つけられないからであり、見つける目を持とうとしないから。 その目を持つことの重要性より、本物探して真似する方が刺激になるからです。
刺激を受けて感動している方要注意です。

”ちゃんと人の話聞いてる?、言ってることわかってる?” って言われたことありませんか?  
感情・記憶・情報という頭の中の住人で、現実という場所を探し出してみてください。

現実という事実の中にいるとき、その刺激は自分にとっていいものにしろ悪いものにしろ苦痛ですよ 体が訴えています。  
だから感受性が強い人は変えないよう穏やかに冷静になるんです。グランディングが強くなるんです。

ストレス・刺激に変えてしまったのは頭の中にいるためです。
頭の中にいると体も感じなくなりますからね。妄想の世界です。
現実を見たとき好きな物が見つけられます。
自己の向上であり、自分を生きる道が広がります。

猿真似しか教えてもらっていない今の現代。
もうそろそろ猿真似人生をやめませんか?

ワンネスの世界とは

こちらをお読みになるとどれだけ恥ずかしいかわかりますよ。