あーこの見えてる世界ってまやかしだな〜
人間って狐に化かされたのかな?それとも狸に化かされたのかな?

よく小さい頃とかね、学校なんかで「悪口いっちゃいけません」「いじめちゃいけません」
なんて色々と教えられるよね。

わかったのは、化かされてるから悪口言いたくなったりいじめたくなったりするんだよね。

化かされて自分じゃないものになってるから、人に自慢したくなったり、認めてもらいたかったり、勝ちたくなったりするんだよね。

ああしなきゃいけない。こうあるべきだ・・・そんなのも化かされてるから出てくる。

化かされたものが育てたものは化かされたもの・・・

最終的に自分の思考を満足させたいんだよね。それが一時の充実感として与えられるんだよね。

自分と繋がって生きていると、エネルギーと体の充実感が一番でこれを得るために日々体とエネルギーと共に生きている。
化かされた思考が入るとエネルギーが制御不能で混乱を起こすんだよね。
まだまだだなぁ〜と思いつつ、なんとか人間に戻ってるな〜って実感する。

人間・・・地と天の間・・・エネルギーと物質の間

ブッダの教えに「反応しない」というのがあるけど、反応しないって意識したらもう出来ないんだよね。
反応しないって意識しない様にしているわけじゃないんだよね。

反応しなきゃいいのに・・・何で反応するの?してるの?って自分と繋がった生き方してたらなるんだよね。
その二つの間にある隔たりは学問ではなくって自然・物理なんだろうな〜と思う。

人と人の間を生きているのか、天と地の間を生きているのか・・・その違いかな

この世界を知れば知るほど意識は変わる。
型によっての変化もあれば、この世界の真実が目を覚まさせる事もある。

エゴの渦巻いた世界とエゴのない世界が隣り合わせになっている。
それも自分の中でね。

消すのでもなくすことでもない。あるから理解できバランスが取れる。中立
周りとの中立ではなく、自分との中立。

自分の神経と思考がどの様に繋がっているのか・影響を受けているのかを知らなければ何をしても無駄に終わる。
型を整えてもリズムを合わせても続かずやがて元に戻ってしまう。

繊細な体のエネルギーを掴むと土台に日が当たる。

エゴのないものが行けるが、エゴ・感情のあるものは行けない。
それは自分の発するエネルギーの色だから。

なんのことはない。全ては自覚なんだ。
どれだけ肩の力が抜けるかって感じだよね。

んー人間の悩みって全部エゴで解決できない方法を選んでる。
ブッダの「反応しない」と一緒。

人間ってどうして意識しちゃいけないものを意識させちゃうんだろう?
大切な真ん中が抜けてるしゴールも違うし矛盾だらけ。

自分を取り戻してから進めば簡単なのね。
取り戻せないまま生きてるからずっと続く。

狸に化かされてるのかな?それとも狐なのかな?
と思う今日この頃・・・