巫女の娘と話しているとよく「守られている気がする」と言う。

私自身もずっと娘を見ているが、「守られている」と感じている。

こう言っては何だけど、娘は努力家でもないしどちらかと言うと「甘えん坊」的な所もあるし、容量がいい部分もただある。

そして息子はその反対にある。

何が違うのかな?第1子と第2子の違いなのか・・・ある部分が決定的に違うし、守られている人ってこの部分が同じだったりするんですよね。

私もそれを知ってから直すよう頑張ったんだけど、如何せん私は息子と同じタイプなのでなかなかの苦戦中(笑)

と言っても自業自得です。。。

で、この違う部分というのは・・・・

エゴ

エゴにも様々あるけど、エゴが多いか少ないか

そんなところにあるんですよね。

エゴが少ないから行きたい方向に真っ直ぐ向いて進んでるんですよ。

エゴが多いと脇見ばかりして見た方向へすぐに飛んでいってしまうんですよね。

自然の法則ですよ。見ている方向に進んで行っちゃう。

だから人と話していると人の思考へ一緒に進んで行っちゃうんですよね。

思考が似てくると、顔つきも似てくるし、人生も似たようになっていく・・・・

だから人選びが大切ってなってるけど、結局エネルギーを知らないから脇見運転して自分で事故を起こしちゃってるんですよ。

しかも、直し方も分からないから、エネルギーも変わってないのでまた同じような人とくっついちゃう。

友達選びも恋人選びも一緒な事の繰り返しで「運が悪い」「守られていない」

とかってなっちゃうんですよね。

まあ、直そうにも思考が頑固に拒否しちゃうんですよね。

思考によって神経が支配されちゃってるから・・・・

体優位に神経を動かせばいいんだけど、神経も意識も思考も分離していないから分からないくて堂々巡りをするしかない。

思考そのものが幻想でエゴだからね。

自分に従ってたら痛い目にあう。

娘には神経とかの話はしてはいないけど、思考からの神経の使い方は結構いい線いっているので「守られてる」って感じているんだろうな〜と思う。

私も神経の癖を直していくと「守られている」というのが多くなっている。

というか全て自分と同じものを引き寄せてるって事なんだけどね。

だから、人間社会の事より人生の仕組みを知ってマスターする方が先だと思う。

自分の操作方法をマスターするのが人生だもん。

自分の操作方法マスターしたら出来ない事は何にもないんだよね。

全部選択だけ

選択したもので自分の操作方法を学ぶのが人生

脳の使い方・神経の使い方・体の使い方

大まかに分けてこの3つだもん

あとは、この世界・人生で何をつかみたいか?という目的で、その目的を通してこの3つを学んでいけばいいのよね。

人間社会って世界から見るとすごく難しい世の中で、自分以上のものを望むと文武不相応に感じたり、望んでもいいのかな?って罪悪感が出てきたりと自分の思考で悩んでしまうけど、エネルギーという自分の中心から見ていくとエゴも存在しない、ジャッジも存在しない、周りも存在しない。ただ自分を生きるということをするだけだから、この世界には上も下もないし、いい悪いもないし、全てが平等だし守られてる。

贅沢も貧乏もない

自分が選んでいるだけだもの。

その代わりに、人間社会にあるような「テンションが上がる」もなければ「ワクワク」もない

穏やかな安定があるだけだし、安定があるから「守られてる」ってなるんだよね。

中立の安定にいられるのが一番楽しかったりするしね。

毎日いいコンディションでいられるから体が無理なく動ける。

気合を入れなくても日々のルーティンが楽にこなせる。

どうでもいいことに振り回されないでね。