私達がこの世の仕組みを全てを思い出した時、あちらの世界へ帰ったとき思う事は
目で見ているものに惑わされず、望むものを創り出してただ楽しんで生きればよかった
と後悔するのだろう。
それが分かっていて、ココにいる今もやはり目に惑わされる事しばしば・・
ただそのとき思い出すのは、向こうへ帰った時の後悔なのです。
ぜーんぶ知っているから、出来ること
知らなくてもやってる事
意図して創り出す事
こんなに単純な事なんだから、出来るのよ〜〜!
と意気込んでこちらに来たはず。。。なのに??忘れちゃってる
ちゃんと思い出して、創り出す最初の思いへと向かって行く
こんなに簡単な事なのにね。
ぜーんぶ思い出した存在としてココで改めで見てみると
やっぱり、後悔しないようにこの簡単な仕組みをやり遂げるだけ!
フェイクに騙されないように 罠にはまらないように・・
ほら! この世は何かがあるわけではなくて、自分が創ったから味わってるのよ♪
味わいたいものだけ創っててね
帰ったら思ってるでしょ!
なんでこんな簡単な事出来なかったんだろう?
ってね
それは死の直前にする後悔だけでなく現在でもしている。
過去を振り返ると後悔しないようちゃんとしていればよかった。
向き合っておけばよかった。
と思うことはしばしあるはず。
それは現在の生活からみる過去への後悔です。
今の自分と過去の自分との様々な状況変化によるものからの後悔です。
本当に死と向き合った時に本当の自分と出会えます。
この後悔は生と死という状況変化での後悔であり、生きるということの自分への後悔で、視点が違います。
普通は死が目の前になく、視点が変わらないので空想でしか思い描けない。
実感できないので本当の気持ちはわからないのです。
このことから、自分の気持ちとはなんだろう?錯覚ではないのか?
空想の産物でしかないのかもと探求を始めた時本当の自分を取り戻す生き方を始めます。
自分を取り戻す道は「気持ち」が入り口であるということです。
普通はそれが正しいと思い込んでいるのでその先に進めませんが、一度疑うとそこから探求に入れます。
視点が違うだけで気持ちというものは変わるのです。
そんなあやふやなものを自分と思い込んでいることに疑問を持ってください。
人の一言で自分の好きだったものが一瞬にして嫌いになったことはありませんか?
逆に興味のなかったものに人の一言で興味を持ってしまったことありませんか?
良い悪いの話ではなく、それだけ自分の気持ちというのはあやふやだということです。
決まったもの、”自分”というものがないのです。
世間一般の常識の中かから外れないように自分を決めているのです。
それも、あなたが何を大切にしているのか?で常に変わります。
本当の自分とは・・?探していくと意外なものが見つかります。
ソース・源 という世界そのものに行き着くんです。ゼロポイントですね。
そして、ゼロポイントからの自分の創造です。
その世界では後悔はありません。
今できることが全てでありそれ以上にも以下にもできないことを知っています。
なので、今をしっかり生きることを選びます。
過去に戻っても同じことしかしませんから。
後悔は年齢も、肉体の制御も関係ないのです。エネルギーの問題なのです。
トラブルは自分に戻すためのものでありそこでトラブルとするかしないかで視点は正反対になります。
今を生きることは自分を取り戻すことです。後悔しないよう今をこの現世に惑わされず生きてください。