感覚を中心に生きるようになってとっても面白い。
自分の中のスイッチの切り替えというものが分かるようになってくる。

意識で行うスイッチ、感覚で行うスイッチ・・スイッチは色々と潜んでます!
今私が行っているのは視覚でのスイッチです。

視覚は自分の状態を変えやすいです。
ただ・・・寝ようとしているのについ動かしてしまい目が覚めてしまう時もただある・・・
まだ操れるところまでは練習が出来ていないのでとても大変です💦

視覚スイッチを動かせるようになると今まで何故気づかなかったんだろう?と疑問が出てしまう。
と言う事で原因を探してみたw

  • 思考と視覚が連動していてこのスイッチに気づかない。
  • 視覚と連動しているから、視覚を動かせない。
  • 視覚を意図的に動かすという発想が出ないから動かした事がない。

などが見つけられた。
また、この視覚を通して内の意識と外の意識が更に区別出来るようになった。

感覚を使って動いていると内の意識で、思考を使って動いていると外の意識になる。
思考優位か感覚優位かによるもので変わる事が分かった。

この世界の全てを感覚で生きてみたら変わる。
感覚のみでいる事によって広い世界がみられる。
面白い事に動物ともエネルギー対話が出来る。というか、こちらの意図が伝わって動いてくれる。
これは数秒しか持たなかったけど、確実に手応えがあった!
更に練習して行こう♪

昨年より私に始まったこのレッスンは本当に面白いし、今までのものが覆される。
型から体というスイッチを操作して思い通りの自分を作っていけばいいだけだもの。

そもそも型でのスイッチのオンオフをしっかりしていないから今までの生き方しかできなかったんだよね。
この位置から見ると今までって小手先だわ。それぐらいに感じる。
多分次の段階に入った時にも同じ事言うと思うw 
これの連続だし、確実に違う世界観になってしまうから仕方ない。
新しい武器を一つ与えられて世界が変わる。また一つ増えて世界が変わる。ってそんな感じかな〜
で、その武器は他からやって来るのではなく、自分の中にあって今まで使っていなかったもの、使えていなかったもの、使えるとは知らなかったものって感じかな。

今までは、意識と記憶と感情の分離で感情と記憶から意識が離れて意識そのものの世界を見れるようになり、次に自分のエネルギーを動かして現実化できる世界を知り、次に感覚を動かして自分と自然の神経を合わせていく事で自然との一体化の世界を知っていく。(←今ココ)

どれも現在進行形で行っているけど、進めば進むほど前のレッスンが簡単に行えるようになっている。特に感覚で生きるのは前二つを簡単にしてくれる。ただ・・・感覚を操作するのは難しすぎる😭繊細なので慣れが必要。。

これを練習していると、この一連のレッスンってお坊さんの修行にも近いのかな?とも思った。
先日、父の納骨を済ませた時ふとお坊さんを見てたら思ったんだよね。

強制的にメディアや生活から分離され、情報を与えられず自分の体に意識を向けやすく感覚にとって静かな生活を与えられ、作法を教えられる。。。
完璧な生活なのに何故習得できていないんだろう?と・・・エゴを外せと言っているお坊さんがエゴを外せず習得できない・・・とても不思議だ。

型も神経も感覚も使わずに生きてる。確実に前頭葉しか使ってない。言葉に頼って我が身を見てない・・・
人間の目に見えるものに頼りすぎてマニュアル化したものを守っているだけで、形はあっても中身がない。
中身が型になったのにな〜なんて思わずにはいられなかった。人間の求めるものを出しているからそうなるんだよね。

よくね、「型にはまらずに」って言うけど、型にはまらずに考えられるのは型の中身を知らないと出来ないんだよね。
型の中身を知るために型があって、型を通して中身を知ると型にはまらずに行えるようになる。

何事も型が大切なのではなく、中身
その見えない中身を知るために型が存在している。

そう考えると人間もそうなんだよね。型と言う体があり、中身の自分を知るために体があり、中身を知ったら体は自由に動かし中身も動かせる。

そのために、日本には文武があって着物があって作法があった。
賢者は型から中身を知り型になり、愚者は型を模倣し似て非なるものを作り出していく。

この世界ってなんて言っているのかではないんだな。
感覚使って、神経使ってどのように生きているのか。
騙せない部分に出ている。
と言うか、真逆に出すようになっているのが感情・エゴで感覚視点から見ていると更に分かりやすい。
思考優位だと言葉に飲み込まれてしまって見えなくなって判断ミスを起こしてしまう。

感覚で生きるって見ている場所が全く違うから、全ての基準が変わってしまう。
脳では感覚の処理を行っているけど考えてはいない。
体からの様々な感覚を瞬時に処理し、次への組み合わせを瞬時に出してくる。
感覚の描写みたいな感じかな?だから思考にさせているのではなく、純粋な脳にさせている感じなの。それが視覚での操作が大きく関わっている。と言うか、今は私が視覚を大きく頼っているのかもしれない。
だから体のスイッチに気を使いいらないスイッチが入らないように型に気をつけている。

そして意識・脳を緩めておかないと型に対する正しい答えが出てこない事をしっかりと覚えておく事。
思考に囚われれていると視点が変わらず型が崩れ型を維持するのも苦労するし、目の前のことに集中できずスイッチのオンオフができなくなって操縦不能になってしまうからね。
感覚優先か思考優先ってことね。

なんだか話が奥深くなってしまったけど大丈夫だったかな?
感覚で動くって言葉中心の現代では結構わからなかったりするし、理解し難いものかもしれないけど、動物は簡単に行っているし、思考を動かさないように型を崩さずに生活しているとちょっとのコツで結構分かりやすくもなります。

勉強や知識で行うのではなく、体の操り方だけなんですよね。
ただ、言っている事を理解できるかどうかの問題で、国語できてますか?って話だけなのですよ。
神経とか感覚とかって勝手に自分の中で決めちゃってて同じ言葉を使ってても勘違いしたままで理解しようとしてしまうんですよね。
1番のネックはこの言葉の問題だったりします。
現代は何を習ってもマニュアルなので、スクールでもマニュアルとして捉えようとしてしまうのが出来ない人の特徴だったりします。
現代の受講スタイルを求めているとすでに思考に形を持っていて習得することは難しくなります。
習得する事が目的なのに、現代の何かしらの形を求めてくるんですよね。
だったらマニュアル化された資格を取りに行けばいいのに・・・とも思ってしまったりします。

そんなものとは全くかけ離れた世界です。
感覚を習得できてしまう・・いや見つけてしまうと簡単に説明は終わっちゃう。
だって自分の中にずっとあるし、なくならないし、無意識ではずっと使ってるしね。
難しいのは思考で行おうとしているから。
意識で行い、調整やリズムを合わせる感覚を持ってばあとは練習のみだったりするし、教えることはほぼなくなるし、あとは私と同じように、自分から教えてもらう事になる。

意識・思考・体の各ズレを直していく事。
何がズレているのかで出来る・出来ないが決まっていきます。
得意不得意も何かのズレですよ。
ズレたまま生きているし、ズレを自分と勘違いしているだけですよ。