感覚的に見えてきた。

自分の中にあるもので遊ぶということを。

自分の持っているもので遊ぶんだ。

それはうちなるもので、なくならないもの。

それがあるから、成長できるもの。

そのうちなるものを葛藤と捉えてしまえば遊べない。

いらないものとして撤去しようとする。

しかし、それで遊べるようになるとそれは楽しくなる。

楽しむとは自分の中にあるものに対して弄ばれている状態ではなく遊んでいる状態。

対処する事でもなく、なくす事でもなく、余裕を持ち遊んでしまうのだ。

どうすることもできないんだから、降参して遊んでしまえばいい。

諦めた瞬間に、余裕ができて遊べるのだ。

そして、遊んだ瞬間に楽しくなるのだ。

敵として捉えるから遊べない。余裕が出ない。

余裕がでない、敵として捉えてしまうのは、そのようにこの社会では教えられているからにしかすぎない。

それをどうやって遊ぶのかを見せてはいないから。

そして、抜けられるのは自分と向き合い、この世界の現実・物理・生態系・・・神経と向き合うから。

外側を変えても外側も変わらない。

中心を変えると中心から放射線状に変わっていく。

目に見えるものを真似しても変わらない。

真似をしているものと、中心からでているもの

同じことをしているように見えても、芯にあるものは全くの別物であり、真逆になっている。

この二つは見ているものが違うし、目的も違っている。

だから使っているものが全く別物のものを使っている。

体内で起こっている変化も違う。

あなたは何をみて生きているのだろうか?

自分の楽しさを知っているのだろうか?

失ってはいけないものを失わそうとしていないだろうか?

それがあるから生きているんだ。

それがあるから動いているんだ。

あなたの原動力で遊ぶんだ。

それはこの世界では無くしたいものとして顔を出している。

しかし、裏を除けば無くしてしまったら動かなくなるものなのだ。

なくす事ではなく、それを使って遊ぶのだ。

それは大切な遊び道具として与えられたものだから・・・