エネルギーが形になったものが物質
自分というエネルギーが形になったものが体
自分というエネルギーが行う事が生活であり人生
この事がわかっているとエネルギーは変えるけど外側を変えようとはしないんです。
なんというか、外側を変えちゃうと土台のエネルギーが分からなくなるからです。
土台のエネルギーが分からなくなると修正の仕方が見えなくなるんですよね。
自分という指針を見失うんです。
見失ったら・・・もう自分とは繋がれない。気づける手段がなくなるんですよね。
気づける手段があるから治せる。それが生きるという事。
中から滲み出るもの。繕えないもの。内なる強さは安定
安定していないから弱くなる。力の強弱ではない。力があるのはエゴの世界
バランスの世界は安定と不安定
武道が力ではないのはバランスの世界だから。
人間がものづくりをするのは自分と繋がった生き方からくる本能
自分を知るため・見極めるために必須なものだから。
生きづらい世の中の現代は自分の内ではなく外を生きているからある意味仕方がない。
自分と繋がった生き方という本能を忘れて外に意識を置いた事で自分も他者も分からなくなってしまったのは代償なんだよね。
エゴの強さが強くなりバランスではなく強弱という世界にあるものが蔓延っているから見えるもので価値を判断し、本当の姿が見えなくなっている。
見えているものでしかこの世界が見えなくなっている。
自分すら見えなくなっている。
見えているものの判断は流行っているかどうかになってしまっている。
これは子供だけではなく大人も同じで狂っている。
正気を取り戻せば取り戻すほどこの狂った世界とそれを信じていた自分に吐き気がする。
陰謀論とか・・・そんなのも馬鹿馬鹿しい世界で結局は同じなんだよ。同じ土俵でみるとそう見えてしまうだけ。目の前でも似たようなもの見えてるのにね。
何事もバランス現れているだけ。
バランスを土台から直すのか、中間から直すのか、天辺だけ直すのかという問題。
それは現在自分が見えている地点、生きている場所で行うしかない。
そこが土台だと思い込んでいるから。
まずは本来の土台を知る事。自分の土台を見つける事。
そこからが自分のスタートになる。
全ての理解が真逆になるからね。