動植物というものを育ててみて分かるのは人間は何も知らないということ。

機械ものなら人間が作り出し説明書通りに行えば使えるけど自然はそうはいかない。

この世界にはノウハウが溢れかえっているけど同じ条件になるものは一つとして同じものはないから同じ結果を得られない。

ノウハウを書いている方と読んでいる方の視点も全く違う。見ているものがあっていなければ解釈は変わってしまう。

生き物を育てていて不具合があるとすぐに情報に頼り調べてしまう。

これは見方が分からないから頼ってしまうということもある。経験値不足からくること。

その経験値不足を自分の経験を積み重ねていく事ではなく情報によって埋めようとするから目の前にある経験を無視してしまい違う事を行っている事が多い。

なので育てにくいという概念が出てくる。

育てにくいというのは、自分の頭や情報に囚われて目の前のサインを見ていないからであり、今ここにいないという事。

脳(記憶・感情)や情報に行っていて不在なのだ。

水槽1つ管理する事で本当に様々な事に気づかされる。

意識できなかったものまで意識させられる。

一つ一つの事の重大さを教えられる。

水槽の中にあるもの全てが「私」だから。

全てが「私」の行う事によって変わってくる。

私の些細な変化の「エネルギー状態」ですら水槽の中に伝わっている事が分かる。これは動植物は全て感じ取っている。分からなくなったのは人間だけなのだ。

そして自分がその些細な変化が分かるようになると、人のエネルギーの些細なエネルギー変化も分かってくる。

全てにおいて、情報ではなく、自分が分かるようになると周りも分かるようになるという事。

自分にその能力がなければ見えてこない。どれだけ情報を持っていようが適材適所に使えないのだ。

見えないからこそ、やたらとノウハウに拘ってしまっている。習えばものにできると思い込んでいる。

スクールでもものにできるのは一握り

実際は情報になってしまっているのが多い

それでもやり続けているとふとした瞬間にものにできてしまう。

それは現実と習った事が一致した時。実感できた時。

その瞬間とは現実を自分で生きたときでもある。

情報やノウハウに頼って生きている間はものには出来ない。

人に頼らず自分の力で生きた時に本当の意味がみえ、一瞬にして開花してしまう。

ただ、開花した事で溺れてしまうと一瞬にして閉じてもしまう。

水槽の中の魚や植物として生きているのか、それとも外の管理者として生きているのか

自分の状態が違っているだけ・・自分の視点が違っているだけのこと。

そして、どこにいるかによって自分の考え方・思考は全く別物を生み出している。

その思考を自分で知ることで、自分が水槽の中にいるのか、外にいるのかが分かる。

そのジャッジができるのは意識だけである。

小さな水槽1つで本当に自分がよくみえます。

そして世に出ている情報が自分には当てはまらないのかがよく分かるんですよね。

一つの水槽に1つの答えがあるだけで水槽ごとに答えは違うんですよ。

ノウハウや人に頼るのではなく、自分に頼らないとね。

自分を見失い、人を見失い・・・情報だけを信じて全てを失っていく現代は本当に生きづらいですよね。

目の前に答えがあるというのにね。

その答えの見方が分からないだけなのに・・・

まあ、現代は自滅していくのが早いから自分の事に集中しやすいですよね。

現実化が早いってだけなんですけどね。

だからいい意味でもあるんですよ。

そして、現実化が早いという事は、今まで蓋をしてきたことも開けなくてはどうにもならないという事でもあるんですよね。

いい意味のものも悪い意味のものも人間って蓋をするんですよ。

自分にはできるかな?出来ないよね?なんて蓋をしたものもあれば

自分の不具合を隠す事も蓋をしてしまうんですよね。

ほんと自分と向き合う!

という事を徹底的にさせられてる。

一人一人が自分に真剣になれば一瞬にしてこの世界は変わる。

だけど人に頼っていると変わらない。今までと同じようにね。

この生態系に対して人間に求められているものとは何か?

この辺りもちょっと考えてみると面白いのかもしれませんよ。

エゴというものが輪郭を表してくるかも・・・・