最近メダカを飼い始め、水槽を立ち上げ、環境を整えるために水草やえびちゃんたちを入れたりとしていたのですが。。。
水槽って1つの生態系が確立されているんですよね。
綺麗なメダカがあって、それを育てたいなーなんて感情で始めたものだから、この生態系がなかなか難しい。。。
しかも、メインがメダカだったのに、飼い始めるとエビちゃんの方が可愛かったりして、メダカよりも難しいエビちゃんの為にさらに細かく気を使って見ないといけない。。。。
なんにしろ初心者なので、全てが手探状態で、日々情報収集。
だけど、この生態系を自分の家に当てはめられるぐらいの情報を手に入れると、自分の家の事や、自分の体に対しての見方が変わった。
今まで我慢していたり大した事ないと無視していた事が、実際は大きな問題であったり、大きな問題であった事が大した事ではなかったり、と真逆に変わってしまった。
動線や流動など目に見えないものを追っかけていくと、家って、人間の為にデザインされているのではなくファッションとしてデザインしてるのかも・・・・と。
それを補うように様々なものが開発されていきどうにか保っているけど、やはりどこかに歪みが出て障害を与えている。
空気・水といったものをしっかりと見直さないといけないけど、ここは家にとってはすでに動かせないもので、それらをカバーする為のデザインをまずは考えていかないとなーなんて思っている。
大切なのは家に対しての流動と動線。人間が手を入れ日々快適にしていく事が生きることに繋がっている。
そこにいるものにとって目に見えない影響が着々と自分のなかに溜まって自分を構成している。
目見に得るものはその土台を元に出てきているものだから、目に見えているものを変えようとしても余り意味がない。
常に忙しくなるだけ。
水槽の中でも、生態系がしっかりと確立出来ていれば、人間の手間は余りかからない。
生態系が狂っていると、常に人間の手によって様々な調整をしながら環境を保たなければいけない。
快適を求めてやっていた事が実は自分の体を蝕んでいる・・・というのも多いのかも。
生態系を意識するから、物を減らしたり、掃除が出来たり、バランスを考えたりと楽しく出来てしまう。
やらなければならない事というより、この土台が自分では気づかない変化させられない自分を作っている事が分かるからです。
思考では強制的に起こしたり、義務として思い込ませたり、習慣として行動させようとしますが、深く土台を見ていくと直結して自分に与えている物で、返ってくるものなんですね。
現代の動きは思考に合わせて思考の都合のいいように動かそう、生きようとする
生態系・自然に合わせて生きようとする思考、共存という意識は余りない。
共存の上の生態系の一部として生きようとしていないからトラブルばかり。我の張り合いばかり。
一昔前は男性社会での我の張り合いが大きく、それらが弱くなり始めると次は個人の我の張り合いが目立つようになってきた。
どちらも幼稚で自分でしたくない。というのが共通しているのかも。
精神面での発達障害かな?
両方現実見えてなくって、感情優先だものね。
今までの常識を当てはめるのではなく、生態系を意識して生きてみて欲しい。
家の中でも、生態系を作り上げる為に自分が行うことは何か?
まずは見えないもののために、土台をしっかり作るために・・・