こんにちはこあです。

前回の 心が「ある・ない」に続いて「心」が出来る前のことについて書きます。
まだ読んでない方はこちらからお読みくださいね。

それは「ある」という世界と「ない」という世界です。
この「ある・ない」は概念は説明しやすいのですが、習得は本当に難しいのです。

私も数年に渡り根気強く見守っていた卒業生さんがいたのですが、最後まで分かってもらえず私が挫折しました。。。。
そんな方が2名いたのですが似たような共通点があり、その後私も色々と試行錯誤でき授業の形が変わりました。

この世界のほとんどは「ない」という世界を生きていてそれを見本のように進んでいます。
「ない」という世界にいながら「ある」という妄想を生み出している世界です。
それが経済社会というものになっています。
いかにして自分が何かを「もつ」事によって「ある」という認識を持ってしまう事です。
これがエゴと言われる正体です。

間違った認識は間違った方法や物を生み出しています。
それがマジョリティになっているのでその沼からは抜け出せなくなっています。

この「ある」世界も「ない」世界もエネルギーでRei のお話です。
そしてそのRei が「ある」か「ない」かでCore の核は変わります。

間違えないようにしっかりと学んでみてくださいね。

「ある」世界「ない」世界とは

心はRei を元に作られます。

このRei は自分の元エネルギーなのですが、このエネルギーが分からないと「ない」という認識でこの世界を生きます。
逆にRei エネルギーが分かると「ある」という認識でこの世界を生きます。

全てが「ある」という認識で心が造られる身体と、全てが「ない」という認識で心が造られる身体

ここが心を形成する最初になります。

happy信者はインナーチャイルドとかトラウマとか様々な癒しと称したものや打ち勝つための自己啓発などを作り出します。

「原因の場所まで戻ってそこから意味合いを変えればいい」という発想のもといろんなものが現代でも開発されてますよね。
しかし戻れるのは「ない」という世界でしかありません。
Reiエネルギーは探していないのである意味無駄なことをしています。

「ある」という世界に行けることなく行ったつもりになっているので妄想を加速し続けているので逆に頭と体のズレ・歪み・捩れを引き起こすだけなので、しない方がマシです。

スピ系にどっぷりとはまり込んでいる人ほど出づらいですよね。これはスピ系に限らずですが、元々自分自身でいられたら要らないものですからね。

本当のスピリチュアル・スピリットは「必要」なものです。
自分という体内とエネルギーの動かし方ですからね。
ここがわかれば自分にあったエネルギーと体の動かし方を自分のエネルギーと体から教えてもらえるんです。

だから全ては「ある」という世界にい続けれることが出来るんです。

「ない」世界にいる人の特徴

では最初に「ない」世界にいる人の特徴です。
耳が痛くなる人は自分が「ある」の世界にいると思い込んでいるからです。
私もそうですが「ある」の世界に完全にいる人はほぼいません。
なので耳が痛くなる必要はなくほとんどの人に当てはまるとまずは現実を受け入れてください。

  • 思いは言わないと分からないと思っている人
  • 愛とか感謝を言っている人 この言葉が好きな人
  • ワクワク・happyとかが好き 信じている人
  • 褒めたり褒められたりが好きな人

まだ探せば出てくると思いますがこの辺りで次に進めます。

これらが当てはまるのは「ない」世界にいます。例外はほぼありません。
よく見てくださいね。
これらは「ない」から見ているから出てくるものです。
「ない」世界にいる人が欲しいものと言ってもいいかもしれませんね。

逆に言います。
「ある」世界にいる人にとっては既に「ある」ので追い求める事も意識する必要もありません。

「ある」世界と「ない」世界の分岐点

では「ある」世界と「ない」世界の分岐点について少し説明します。

この「ある」という世界と「ない」という世界の分岐点は幼少期です。
物心がつく辺りで「ある」という意識でものを見ているか「ない」という意識でものを見ているかで判断ができます。

赤ちゃん・子供から大人を見ると大人は「ある」という認識になりやすいです。
赤ちゃんや子供は何も出来ないところからのスタートなので認識がそうなりやすくなります。

この時点での子育てで「ある」の世界を教えられる大人は現代ではほぼいません。
大人自身も「ない」という世界で生きていることと、現代の常識・認識・思考回路・使用会話は「ない」の方向に大幅に偏っているからです。

「ない」を作り出すことが下位認識者が経済を回すことになるからです。

豪華に見せて人を惹きつける手段は「ない」という世界に生きている人にとってはとても魅力的に映りますし、スピ系でそれをおこなっている人は「ない」という世界を生きている表れでもあります。

「ない」世界から「ある」世界への移行期

体の形成と頭の形成がバランス良く整ってくると移行点が現れます。
これが「子供」から「大人」への移行期です。

現代では大人もほぼ「子供」なので参考には出来ませんが、昔の日本という国はこの移行がありました。
ちゃんとした大人がまだ存在していた時代ですね。
なので大人になる方法を知っていて文化に取り入れていたんです。

現代の学歴・経済社会においては「無駄」とされて排除された躾の数々
その中にあったもので、それらは生活を通して体とエネルギーと脳を結びつける行動だったので、生活の中から全てが自分の中に「ある」ということを徐々に見つける事ができました。

見つけたからこそ次の人生をどう生きていくのかを決めることができます。
なので誰からの評価も必要なくなります。
自分のしたいことに進むことができます。

なので、

  • ワクワク??
  • happy??
  • 幸せ探す??
  • 褒められたい?認められたい?

何のために???となります。
ですが、「ない」という世界には必要なんです。

「ない」という世界では脳が行動のスイッチとして使われる為です。
脳・・すなわち言語と映像です。
体には関係なくほとんどを脳で行おうと生きているので当然の結果になります。

それほど「ある」という世界と「ない」という世界は別物です。
「ない」という世界にいるから欲しくなるものと「ある」という世界にいるから欲しいものは完全に違います。

「ない」世界にいると例え魔法使いになったとしても無限に欲しくなるというループの世界です。
なので「ない」世界にいながら引き寄せ・現実化が出来たとしてもそれは悪夢の始まり。それなのに気付けずにループに嵌りこんでしまいます。

気づく人は大人となり、気付けない人は子供のままという「自己責任」の人生です。

移行出来た「日本文化」

日本の文化は
言わなくてもわかる文化

「ある」という世界に生きているとそれは自然と伝わるものなんです。
「ある」世界にいるからキャッチ出来るということです。「ない」世界の人には伝わりません。

いろんなものがキャッチ出来るからこそ「侘び寂び」の穏やかな生活が必要になります。
騒がしいのは受信機関が狂ってしまうからです。

昔の日本がなぜ移行できたのかは、その「教育・躾」にあります。
現代にはほぼ残っていない躾で、残っているものの躾ではありません。

躾は身の美さで外見ではありません。
身は身体の身でReiが整う美さです。
CoreとReiが結ばれた状態で、これが「ある」という世界を映し出します。

現代にはほぼ残っていない躾
本当に私もここが一番時間と苦労が多いところです。
これを崩したのはほぼメディアが最初で分からない子供に広げたものです。

残っていたは戦前の話で、私はその時代のことを母や知り合いなどに聞きながら少しづつ習得し今では自分の身体から聞ける範囲も多くなってきています。

昔から躾の中で大切にしてきたもの。
もう一度思い出してみてください。

まとめ

自分の身体の反応がRei になってくると誰に聞くこともありません。
師は誰でもなく自分の身体とエネルギーであるCore&Reiということです。

しかし、ここで脳に従ってしまうと元の木阿弥です。
脳までしっかりとReiになっていくには私の年齢では一生ものかもしれませんが、それでもこの世界の異様な状況が解るという事は大きな資産です。

50年以上身体の使い方を間違っていたツケは自分が払わなくてはならなく、それは治すかそのまま突き進んで壊すかの違いです。
両方に苦労はありますが、長い目で見ても分かった時点で治すことはその後の人生は明るくなります。

身体の使い方、神経の使い方で見る世界は変わります。
能力はこの身体と神経の世界なので全てを体内に持っています。

どう扱うか

これによって様々な方向性が生まれます。
身体の使い方によって様々なものが生まれてきます。
なので自分を生きている実感も同時に得ます。

現代では言語のからの感情で生み出しています。
そんな世界を私は違和感を通り越してとても気持ちが悪く感じています。

これが現在の私の脳の現在地です。

多分もう少し体に近づくと愛おしく感じられるのでしょうが、現在は気色悪さを感じてしまっています。
これは視野の広さの関係値で視神経が正常になれば大丈夫かな?とも思ってます。
現在実験中なので楽しみです。

「ない」世界と「ある」世界 少しわかっていただけたでしょうか。
まだまだ書き足りないこともありますが、続編か他の記事に混ぜるかして様々な情報を書いていきたいと思います。

またよかったら読みにきてくださいね。
こあでした。