こんにちは こあ です。
ここ数年起こっている課題の1つに「心がある・ない」という事があります。

誰もが心を持っていると信じているのに「伝わらない」「通じない」ということが起こるのも「心の有無」になるのかと思っていたのですが、Core&Rei が言語化されるにつれ違うことに気づきました。

なので、今回はその辺りの説明をしようか思います。
前回に続いてのCore&Rei の続きにもなりますので前回までを復習した後でお読みくださいね。

心の有無とは

心があるとかないとかよく思います。
だけど誰もが心を持っていると思っているのも事実なんですよね。
そこでようやく説明できるようになったのはCore&Rei の存在を知った事でした。

これは内側の世界を生きているCore&Rei の人達と、外側の世界を生きている情報脳(Information Brain)の人達の違いなんです。

心とは場所の事。
この心にCore&Rei が通っているのか、情報脳が通っているのかで違うという事です。

情報脳とは

情報脳の図
情報脳の図

左の図(モバイルでは上)は外側の世界を生きると自然に起こる情報脳を現した図です。

言語情報が脳から心へ入っていきます。
それが進むとやがて腑から全身へ侵食していきます。

年齢によって侵食が進んでいくことと、若い人でもすでに侵食の進んだ人からの教えを信じてしまうと侵食は同等になります。

どこまで侵食するかによって、表現・思考が変わってきます。

脳の思考と心の動きと腑の動きがそれぞれどこまで同じなのかで統一性という軸が変わります。

Core&Rei とは

右の図(モバイルでは上)は内側の世界でのCore &Reiの図です。

Core&Rei はReiのエネルギーを体に合わせることでCore&Rei を作り、腑・心・脳へとCore &Rei を広げていきます。

そのことで、Core&Rei と同じ表現・同じ思考が出てきます。

現実化仕組み図
Core&Rei の図

心に宿るもの

あなたは心の場所にどちらが通っているでしょうか?

現代の情報は優劣や善悪の判断のために多くが使われているように感じます。
Core&Rei から見ると「性質」であるものに善悪の判断など出来ないのにと思ってはしまいますが、現代ではそれが進みすぎてしまい実際人間が作り出すものには棒にも箸にも引っかからない悪があるので仕方のないことなのかもしれませんね。

私の体感ではほとんどの人は腑まで入っている感じです。
歩き方、立ち居振る舞い、言語内容などどれをみてもその辺りが妥当かと思います。

心が情報脳に侵されているのに「心を大切にする」ということは自殺行為です。
ほとんどの人は心を大切にすると言いながら情報脳を大切にしているに過ぎないんですよ。

私自身がそうでした。
自分の思うがままに、自分を大切にという耳障りの良い言葉を信じて従ってきたのは自分と思っていた感情なんですよね。
それに従ったことで何をしてこなくって大変な目に遭ってるのか。
考えたことがありますか?

  • 勉強していれば(学問・字・礼儀・資格などチャンスのあったもの)
  • 欲に任せて買っていなければ
  • 意地を張らなければ

色々あります。
普通の家庭なら、感情に従うのではなくやるべきことをやっているだけでそれなりに悩みのない人生になったと思います。
壊してきたのは自分だったと気づいたのは本当にCore&Rei がある程度身についた時です。

これは情報では分からないことですし、言葉は違えど小さな頃からも言われていることです。
そしてそこから逃げている人が情報脳の侵食が激しいんです。現実と向き合うのが苦しくなるんでしょうね。
せっかくの心の器からの痛みがCore&Rei の読み方を知らないので感情脳によって真逆の結果をもたらします。

Core&Rei の側から見ると情報脳の人は理解と感情を区別できていないので論点がずれ、勝ち負けに終始する情報脳の人は「心がない」となります。
情報脳の側から見るとCore &Reiの人は正論を突かれ容赦がないので「心がない」となります。

Core&Rei 同志では「勝ち負け」はないので理解と今後に向かえますが、情報脳同士だと同じ価値観で気が合う人同士でも「勝ち負け」になってしまえばお互いに「心がない」という判断になります。

まとめ

誰もが心があると思っています。
そして心は誰でもあります。
単なる器ですからね。

その器の心に何が通っているのかが問題です。
それによって人は変わります。

視点が変わり、世界が変わり、思考が変わります。

情報脳の特徴で一つ面白い話があります。
同じ状況で被害者と加害者で立場が変わると思考が全くの別物になっているということです。
被害者の立場は自分に非がないので冷静に対処し被害者の痛みもわかり感情もわかっているんです。

ですが、加害者となった瞬間に被害者が理解出来なくことと、相手の求めているものがわからなくなるんです。
自己の正当化に走りその場を切り抜けることしか頭にありません。

逆ギレするもの
被害者側が近い関係だとちゃらけるもの
非がないことを探して説明するもの
誰かのせいにするもの

なんてよくあります。
小さなことは近い関係になればなるほどなりがちですが立場が逆転すると全く思考が変わるんですから呆れを通り越して宇宙人で、その度に信用度数は下がる一方という仕組みですね。

心が有るか無いかは実際は信用という所に繋がっているんですよね。
まあ、Core &Rei では信用とかも全く関係のない世界にはなってくるのですが、多分違う意味合いに取られそうなのでこの辺で・・・・こあでした。