こんにちは、こあです。
「自分を愛しましょう」
この言葉、よく聞きませんか?
でもね。
自分を愛するって、どういうことなんでしょう。
ちゃんと意味をわかって使っている人って、どれくらいいるんだろう。
私のところに来る方からも、よく聞かれます。
「自分を愛しましょうって言われたんですが、愛するってどういうことですか?」
これね。
言った本人も、たいていちゃんと答えられないんです。
「好きなことをしてください」
「ワクワクすることをしてください」
「自分を大切にしてください」
だいたいこの辺で終わります。
でも、それで本当に自分を愛せるようになるのでしょうか。
私は、そこがずっと引っかかっていました。
「自分を愛していない」って、なぜ受け入れるの?
「あなたは自分を愛していません」
そう言われると、
「そうかも……」
と思ってしまう人は多いと思います。
よっぽど自信がある人以外は、たぶん一度は揺れます。
でも、ここで一度立ち止まってほしいんです。
なぜ、その言葉をそのまま受け入れるのでしょう。
そもそも「自分を愛する」の定義が曖昧だからです。
定義が曖昧だから、言われた側は不安になります。
そして、
「じゃあ、どうすれば自分を愛せるんですか?」
と答えを探し始める。
でも返ってくる答えが、
「好きなことをしましょう」
「楽しいことをしましょう」
だったりする。
それ、本当に愛なのでしょうか?
好きなことをしても満たされない理由
- 好きなことをする。
- 楽しいことをする。
- ワクワクすることをする。
それ自体が悪いわけじゃない。
楽しい時間は大切だし休むことも必要。
でも、それを「自分を愛すること」としてしまうと、矛盾が出てくるんです。
好きなことをしている間は楽しい。
気分も上がる。
でも、そのあとにまた空っぽになる。
そしてまた、何かで満たそうとする。
これを繰り返しているなら、それは本当に愛なの?と疑問に思うのと自分を見ていることになる。
ただ外側のもので、内側の渇きを埋めようとしているだけだと一生気付かないままで終わってしまう。
愛がないから求めているわけではない
ここ、勘違いしやすいところ。
「私は愛がないから、愛を求めている」
そう思ってしまう人もいますよね。
でも本来の自分視点から見ると、そうではないんです。
愛があり知ってるから
- 幸せになりたい。
- 大切にされたい。
- 安心したい。
- 満たされたい。
そう思うんです。
知らないものは求められませんよね。
本来の自分の中にあるものを知っているからこそ、それが見えなくなった時に苦しくなる。
違うものを愛と勘違いしてるから苦しくなるんです。
だから、愛がないのではありません。
愛が見えなくなっているだけです。
愛は「する」ものなのか
そもそも、愛は「する」ものなの?
私はここに、すごく違和感があります。
愛する。
という言葉になると、何かをすることのように感じます。
でも愛って、本来は行為ではなく、エネルギーです。
内側にあるものです。
状態です。
それを外側の行動でどうにかしようとするから、話がずれていく。
- 自分を愛するために何をする?
- 自分を満たすために何を買う?
- どこへ行く?
- 誰に認めてもらいたい?
そうやって外側に探しに行くほど、内側にあるものが見えなくなります。
エネルギーの問題は、エネルギーでしか解決できない
物質の問題は、物質で解決しています。
- お腹が空いたら食べる。
- 寒ければ服を着る。
- 疲れたら休む。
これは当たり前なことです。
でも、内側の渇きは物質では解決できません。
- 寂しさ。
- 欠乏感。
- 満たされなさ。
- 自分がわからない感覚。
これはエネルギーの問題です。
エネルギーの問題を、物や行動で埋めようとしても、根本は変わりません。
一時的には満たされたように感じますがまた同じところに戻ります。
なぜなら、見なければいけない場所が外ではなく内側だからです。
本来ある愛を視る
自分を愛するという言葉を追いかけるほど、本質から離れてしまうことがあります。
本当は、愛を足す必要はないんです。
そして愛を手に入れる必要もない。
すでにあるものを、見えなくしているものを視る。
そこからだと思います。
何が自分の愛を見えなくしているのか。
どこで外側に探しに行っているのか。
何を埋めようとしているのか。
その問いを、自分に向けてみる。
自分を愛するとは、何かをすることではなく、
本来ある愛を思い出していくこと。
もし今、
「もっと自分を愛さなきゃ」
と思っているなら。
その前に、一度立ち止まってみてください。
本当に愛が足りない?
それとも、すでにある愛を見失っているだけ?
自分の中の「愛」を見つけてくださいね。
あなたの想像いる「愛」とは違うものかもしれませんよ。
本質から入りましょうね。

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